日本の外務省が広報動画で「日本の支援が韓国の経済成長の土台になった」という趣旨の主張したことをめぐり、韓国の専門家らはさまざまな理由を挙げ「こじつけ」だと指摘している。まず、規模で見ると戦後の韓国の経済再建に決定的な役割を果たしたのは、日本よりもむしろ欧米の援助だった。

 また、日本から韓国への借款には過去の植民地支配と収奪に対する賠償金的な意味合いがあり、開発途上国への純粋な援助とは見なし難い面がある。日本は1965年、韓国政府に無償3億ドルの請求権資金と有償2億ドルの公共借款を合わせ、計5億ドルを提供することを決めた。日本はフィリピンに5億5000万ドルを賠償している。フィリピンなどは第2次世界大戦中に日本に占領されたが、韓国は35年にわたり植民地として日本帝国主義の収奪政策の犠牲になった。

 日本は、経済成長のための資金を切実に欲していた朴正熙(パク・チョンヒ)政権の立場を有利に利用し、不十分かつ不完全な賠償金を支払ったと評価される。

 韓国経済研究院のチェ・ナムソク研究委員は「経済開発の初期に日本からの借款が助けとなったことを認めるとしても、『漢江の奇跡』(朴正熙氏が主導した高度成長)は韓国政府の力強い成長政策、韓国人特有の教育熱や勤勉さ、国民の貯蓄を基盤とする大規模投資、起業家精神などがもたらしたものだと見るのが正しい」と説明した。

■開発初期の借款、約7割は欧米から

 朴正熙政権が「第1次経済開発5カ年計画」を開始した1962年以降の10年間に韓国が導入した海外からの公共借款は、総額11億9300万ドルだった。この資金は高速道路や橋、鉄道、ダムなどのインフラ建設に投じられた。日本の自画自賛に反して、米国からの公共借款が7億2300万ドルで全体の61%を占めていた。国際復興開発銀行 (IBRD)などの国際金融機関からの借款が1億6600万ドル(14%)だった。日本は2億5600万ドル(22%)だ。日本の主張通り、60年代の経済開発初期に日本から2億5600万ドルという大金がもたらされたことは間違いないが、日本からの公共借款には韓日請求権協定に基づく有償借款が含まれている。

 政府レベルの公共借款と、民間企業が韓国政府の保証を受けて外国から借りた民間借款を合わせても、状況はさほど変わらない。同期間の公共借款と民間借款の合計額は32億1400万ドルで、米国からの借款が13億5800万ドル(42.3%)、日本からが7億8700万ドル(24.5%)、欧州からが7億2600万ドル(22.6%)だった。

■日本からの資金は日本にも利益もたらす

 朴正熙政権は、日本からの資金を初期の経済開発に効果的に活用した。外務省の広報動画で取り上げられた浦項総合製鉄所、昭陽江ダム、ソウル地下鉄1号線の建設に日本の資金が投じられたのは事実だ。賠償金としての意味合いを持つ5億ドル(無償3億ドル、有償2億ドル)のうち、1億2000万ドル程度が浦項総合製鉄所の建設に使われた。元々は農業分野に投じられる資金だったが、当時の政府が韓国の製鉄所建設に反対していた日本を説得し、同製鉄所の建設に使い道を変更した。産業公害問題に直面した日本にとって、鉄鋼工業設備を販売する安定した大型プロジェクトが必要だったため、浦項総合製鉄所の建設に同意したとする研究(パク・ヨング釜山外国語大教授)もある。

 昭陽江ダムの建設資金290億ウォンのうち104億ウォンも、日本政府からの有償借款を活用した。また、74年にソウル地下鉄1号線(ソウル駅~清凉里駅)を建設する際に投じられた330億ウォンのうち、150億ウォンは日本の海外経済協力基金(OECF)からの借款だった。年4%台の低い金利だったが、日本も初期に使われた地下鉄車両186両を日立製作所が製造するなど、利益を手にした。

■国交正常化後の対日貿易赤字4900億ドル

 65年の韓日国交正常化以降、日本企業は投資・貿易パートナーとして韓国企業との協力を拡大した。だが「技術提携」という名の協力関係は、日本企業にとって遅れた技術と老朽化した設備を移転する機会だった面もある。当時、朴正熙政権が重化学工業と輸出が主導する成長戦略を推進したため、中間財輸出の利得が大きかった。日本が韓国との貿易で得た利益を端的に示すデータが、国交正常化から昨年4月にかけて積み上がった対日貿易赤字額だ。4944億ドルに達する。

 日本は「経済協力」を強調するが、97年のアジア通貨危機のときには韓国の経済的苦境を無視した。当時、財政経済院の次官だった姜万洙(カン・マンス)元企画財政部(省に相当)長官は1月に出版した著書『現場で見た経済危機対応実録』で「通貨危機の際、日本による資金の引き揚げはとても大規模で素早く、耐え切れなかった」と語っている。姜氏によると、97年、韓国の銀行が外国の金融機関から借りていた短期借入金のうち、半分以上の375億ドルが引き揚げられた。中でも、最大の借入先だった日本が短期借入金(218億ドル)の60%に当たる130億ドルを回収した。欧州が173億ドルのうち45%に当たる76億ドル、米国が56億ドルのうち38%に当たる21億ドルを回収したのに比べ、はるかに規模が大きく、回収スピードも速かった。

■植民地時代の収奪のせいで独立直後は最貧国に

 日本による植民地からの収奪は資源や食糧にとどまらず、徴兵や徴用といった人的資源の蹂躙(じゅうりん)にまで及び、独立直後の韓国経済を最悪の状態に追い込んだ。だが、日本の一部の右翼は植民地時代の食糧増産、工業投資、教育拡大などが韓国の経済発展の基礎を固めたというあきれた主張を振りかざしている。忠南大のホ・スヨル教授の研究によると、植民地から解放された直後、日本の工業資産のうち韓国側にあったのは全体の25%にすぎず、それさえも解放後の混乱と6・25戦争(朝鮮戦争)の最中に大半が破壊された。

 また、日本人による大規模な田畑の所有と米穀(コメなど)収奪で、農業従事者1人当たりの農産物収穫量は植民地支配の期間にむしろ3-15%減少した。植民地時代末期、韓国人の小学校初等科への進学は増えたが、中卒以上の学歴を持つ人は1%にすぎなかった。日本による植民地支配は民族抹殺政策、過酷な収奪など、西欧列強に比べはるかに暴圧的だった。

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