教師全盛時代だ。全国の中高生18万人を対象に調査した「進路実態調査」で、中高生の男女共に、教師を「就きたい職業」1位に挙げた。保護者の考えもほぼ同じだ。「子どもにどんな職業に就いてほしいか」という質問に、最も多くの保護者が答えたのが「教師」だった。こうしたことから、なぜ教育大学や大学教育学部に入るのがあれほど大変なのか分かる。多くの中高生が教師を目指しているのだから、その関門を突破するのはますます難しくなっている。小学校教師を養成する教育学部初等教育学科は全国の成績上位の学生が集まっている。中学校教師を養成する教育大学は大学別の「志願可能点数分布表」で常にランキング上位だ。

 教育大学や大学教育学部に合格したら全てOKというわけではない。入学を果たしても、教員採用試験というさらに高いハードルがある。特に中学・高校の教師になるのは至難の業だ。ソウル地域の中学校教員採用試験は昨年、競争率が13倍だった。中でも地理の教員はなんと31倍だ。教育大学を卒業したにもかかわらず、考試院(受験生用の勉強部屋と寝室を兼ねた簡易宿泊施設)などで採用試験に備えている若者は3万-4万人に達するという。

 こうしたプロセスを全て突破して初めて教壇に立てるのだから、実力だけ見れば韓国の教師は世界最高水準といえるだろう。2011年に発表された「マッケンジー報告書」は、韓国の教師たちを経済協力開発機構(OECD)加盟国中で最も優秀な教師集団に挙げた。同報告書は韓国・フィンランド・シンガポールを「教育3大大国」と紹介し「シンガポールは上位30%の人材が教師になり、フィンランドは同20%、韓国は同5%の人材が教壇に立っている」と書いた。国の教育レベルが教師のレベルを上回ることはないという。その前提通りなら、韓国は今、祝杯を挙げるべきだろう。

 ところが、実際には必ずしもそうではない。ソウル地域にある高校の校長は「最近の教師はみな優秀なので、勉強ができない生徒の気持ちを理解できないことがある」と言った。親も自慢の優等生が教師になるため、教師の共感力が下がっているというのだ。「元優等生たちが教師を目指すのも、定年の保障や年金給付といった職業の安定性を選んだからでは」と批判する声も多い。

 そのためか、知識だけを問う現在の教師採用システムを改善しようという声が上がっている。大邱市教育庁が今年から教師任用試験に「人文学面接」の導入を決めたのもこのためだ。オ・ドンギ大邱市教育監(教育庁〈教育委員会に相当〉トップ)は「他人への配慮や理解が不足している人、教師としての情熱がない人は教壇に立ってはならない」と語った。

 しかも、実力のある教師が任用されているにもかかわらず、私教育(予備校・塾・家庭教師)の勢いもますます強まっている。政府が先月発表した「私教育費調査」を見ると、しばらく変化がほとんどなかった1人当たりの私教費が再び増え始めていることが分かった。政府は忘れたころに「私教育対策」を打ち出すが、「塾の方が学校より教え方が上手」という認識が生徒や保護者、さらには教師にまで浸透しているのではないだろうか。

 韓国であらゆる分野がそうであるように、教育分野でも光復(日本の統治からの開放)後の70年間で奇跡を起こしてきた。1人当たりの国民所得が100ドル(現在のレートで約1万2000円)にもならなかった時代は午前クラスと午後クラスの入れ替え制にし、それでもギュウギュウ詰めになりながら教室を使っていたが、学校の先生は希望だった。今では1人当たりの国民所得が3万ドル(約360万円)目前に迫り、教育予算は55兆ウォン(約5兆9000億円)という時代になったのに、肝心の先生があまりよく見えてこない。教師の人気が急上昇し、優秀な人材が教壇に立つようになった今こそ、教壇の危機について考えるべきだろう。

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