地震の揺れの強さを示す尺度のことを「震度」という。ごくわずかな揺れは震度1、明らかに揺れが感じられるようになれば震度2、誰もが地震発生を認識できるのは震度3だ。震度4になれば室内の照明などが大きく揺れ、震度5になればたんすなどが倒れ大きな恐怖を感じる。記者が今年4月に熊本県に出張した際に体験した揺れはまさにこのレベルだった。

 当時、熊本県では最初の地震が発生してから72時間以内に震度7が2回、震度6が5回、震度5が7回、それ以下は250回発生した。記者は震度6-7の地震が過ぎ去ってから現地に到着したため運が良かったが、地震をほとんど経験したことのない韓国人にとっては、震度5でも死ぬかと思うくらいの恐怖を感じる。16分に1回のペースで地面が波打つとでも言おうか。うたた寝をしているときに、脳に突然「恐怖のスイッチ」が入るような感覚だ。

 現地では日中、破壊された住宅を数え切れないほど目にした。橋が崩落し山が崩れ落ちている様子も映画以外では初めて見た。宿泊先から500メートル離れた場所には自衛隊の車両が止まっていたが、昼間に体験したような地震がまた起これば、自衛隊が来る前に自分が助けを求めに行かなければならない。自分が「生き残るための知恵」について何も知らないこともそのとき初めて知った。階段は大丈夫か、エレベーターの方がもっと危険なのかといったことさえ、そのときは全く判断がつかなかった。

 日本の防災政策はまさにここが原点だ。300ページからなる2016年版『防災白書』の第1章第1節は要するに「政府ばかりに頼るな」ということが書かれている。日本政府は「私たちが守ります」とは言わない。自分の命を自分で守る力こそ最も大切なことであり、近所同士で互いに助け合うことがその次に来る。政府と地方自治体はそれができるよう支援する立場だ。

 例えば1995年に発生した阪神淡路大震災では、救助されて助かった人のうち、消防官や警察官、自衛隊員に助けられた人は全体の23%(3万5000人中8000人)で、残りは近所の人によって助けられた。建物や家具などに押しつぶされ危うく命を落としそうになった人も、そのほとんど(95%)が自力ではい出すか(35%)、家族(32%)や隣人(28%)に助けられていた。

 そのような考え方に基づいてまとめられたものが地震防災マニュアルだ。日本政府と地方自治体はいつ、どこで、どのような災害が発生するかを科学的に分析し、「最悪」のシナリオを想定する。活断層がどこにあるか、原発からどれくらい離れているか、住宅地の地盤はしっかりしているか、津波は地震発生から何分後にどこに到達するかを全て予測し、避難の要領を分かりやすい言葉で説明している。

 1980年代から日本社会を見つめてきた焼酎メーカー真露の楊仁集(ヤン・インジプ)社長がある日、東京都港区が作成した外国人向けの災害対応マニュアルを見せてくれた。手のひらサイズに小さく折り畳めるこの1枚の紙には、災害時の避難の要領や、いざというときに使える日本語が書いてあった。例えば緊急時、日本語ができなくとも「助けて」と叫べば日本人にも分かること、そしてハングルやローマ字などでその発音の仕方などが書かれていた。

 このマニュアルを作ることが日本政府の仕事だとすれば、その内容を理解し自分と周りの人たちを助けることは日本国民の役割だ。5年前の東日本巨大地震の際、楊社長の隣に住む日本人の主婦がヘルメットをかぶって外に飛び出し、楊社長に「外国人ですよね。断水に備えて浴槽に水を入れておいてください」と言ってくれたという。楊社長はその時、日本という国の力強さを改めて実感したそうだ。

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