仏教美術の権威、チョン・ヨンホ檀国大学客員教授は日本の対馬(長崎県)に200回以上行っている。韓国と日本の間にある要所・対馬に残る韓国の文化財の実態を調査するためだ。対馬に点在する崔益鉉(チェ・イクヒョン、儒学者・反日運動家)の足跡をたどり、現地に殉国碑を建てるため先頭に立って奔走したのもチョン・ヨンホ教授の功績だ。同教授は昨日の電話で「恥ずかしいし、心が乱れた」と言った。大田地裁が先週下した判決文を読んでのことだ。

 大田地裁は韓国人窃盗犯らが4年前に対馬から盗んできた高麗時代の仏像を忠清南道瑞山市の浮石寺に返すよう判決を下した。仏像は14世紀に浮石寺で製作されたものだ。地裁は「仏像が(合法的に)移されたという記録がない点や、忠清南道の海岸に当時、倭寇が頻繁に出没していた点などを見ると、盗難・略奪されたものと見られる」と判断した。チョン・ヨンホ教授は「対馬には現在、数十体の韓国の仏像がある。この中には倭寇が略奪したものもあるだろうが、通常の経路で経て渡ったものも相当数ある。対馬側と協議して、数体は返還の話し合いが順調に進んでいたが、今回の判決で水の泡になりそうで無念だ」と語った。

 ソウル大学が現在管理している奎章閣(朝鮮時代の王立図書館)に「倭人求請謄録」という貴重な資料がある。朝鮮時代、日本が朝鮮に要請して持ち帰ったさまざまな物の記録だ。1394年から250年の間、朝鮮が日本に与えた物には仏教関連の品が圧倒的に多い。大蔵経・法華経といった経典や梵鐘などだ。すべて合法的に日本に渡った物だ。その結果、新羅時代の梵鐘については、日本に渡った物の方が現在韓国国内に残っている物よりも多いという(チン・ホンソプ『黙斎閑話』1999年)。

 中世の日本では仏教が流行しており、韓半島(朝鮮半島)の仏教文化財を羨望(せんぼう)した。一方、儒教を国教と定めた朝鮮は、仏教を邪道として排斥した。大蔵経のような貴重な文化財に対してさえ、きちんと保管しなければならないという考えがなかった。臣下の中には「異端の書は燃やして捨てるべきだが、あっち(日本)が欲しいと言っているから、惜しむことなくやってやろう」とまで言う者までいた。

 日本にある韓国の文化財は数十万点に達すると推定されている。特に壬辰倭乱(文禄・慶長の役)や日本による植民地支配時代に奪われていった物が多い。対馬の仏像は略奪品であるかもしれないし、そうでないかもしれない。しかし、泥棒が盗んできた仏像を裁判所が推定だけで「日本に返す必要はない」と判断したことは、別の問題を引き起こす。法ではなく「愛国」に基づいて判決を出したとすれば、より大きな災いとして跳ね返ってくるかもしれない。まずは韓国側の正当な文化財返還要求に冷水を浴びせる可能性がある。米紙ニューヨーク・タイムズもこの判決に関心を示した。今や他国の人々が韓国をどのように見ているのかも考えなければならない。それだけの国に韓国はなったのだ。

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