韓民族の統治エリートの遺伝子に「楽観のDNA」が刻み込まれているのは間違いない。危機を前にして、対策もなしに楽観論に酔う習性がある。壬申(じんしん)倭乱(文禄・慶長の役)の前、日本へ行ってきた通信使らから正反対の報告書が上がってきた。当時の朝鮮国王・宣祖は、侵略の可能性はないという方の報告書を採択し、国難を招いた。丙子胡乱(1636-37年の清による朝鮮侵略)のときも、6・25(朝鮮戦争)の前もそうだった。常に兆候はあった。なのに、いつも危険を無視して滅びの道を進んだのだ。

 現在の韓半島の緊張を見つめる韓国国民の胸中では、二つの心情が交錯している。一つは不安で、もう一つは疑念だ。いったいどういうわけで、こういう状況にまで至ったのか、というわけだ。北朝鮮が核開発をしているという事実は1990年代初めに確認された。北朝鮮が「ソウルは火の海になる」と脅して回ったのも、20年以上前のことだ。その間、韓国では政権が4回変わり、ありとあらゆる北朝鮮政策が登場した。国防費も湯水のように使った。なのになぜ、こんな最悪の状況になったのか、というわけだ。

 そんな疑問の前で、まず真っ先に思い浮かぶのもまた「太陽政策」の楽観論だ。2001年に平壌を訪れた金大中(キム・デジュン)大統領は、北朝鮮には「核開発の意思も、能力もない」と語った。北朝鮮が核を開発したら、自分が責任を取ると断言した。盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は、北朝鮮の核・ミサイルを「交渉用」だと弁護した。韓国を狙ったものではなく、攻撃用でもないと言った。

 そんな見方がどれほど非現実的だったかは、北朝鮮が確認させてくれた。およそ20年の間、北朝鮮は一瞬たりとも核プログラムを中止したことはない。隙あらばソウルを廃虚にしてやると、人質戦略を展開してきた。ほんの数日前にも、烏山・群山・平沢の米軍基地を挙げて「焦土にしてやる」と脅迫した。北朝鮮の善意を信じた二人の元大統領が今の状況を見たら、何と言っただろうか。

 太陽政策の純真な楽観論は、これで終わりではない。金大中・盧武鉉政権では、北朝鮮のミサイル攻撃に対する備えは一貫して消極的だった。1990年代初めの「ノドン1号」以降、北朝鮮は絶えずミサイルの性能を改善してきた。金大中政権時代も核開発は続き、テポドン1号ミサイルが日本近海まで飛んでいった。にもかかわらず、米国のミサイル防衛(MD)編入問題を理由に、防衛網の構築をためらった。韓国型防衛システム(KMD)を作ると、口先ばかりだった。

 盧武鉉政権になって、パトリオットPAC2と艦対空のSM2ミサイルを導入した。しかし下層での防御能力を備えただけで、それですら迎撃成功率は低かった。2006年に北朝鮮は核実験に乗り出し、核開発を公にした。それでも盧武鉉政権は、実効性が低いパトリオットで5年過ごした。

 保守派の政権に変わった後も、大きく踏み出すことはなかった。李明博(イ・ミョンバク)政権は、先制攻撃の概念を含む「キルチェーン」構想を作り出した。しかし予算は少なく、政策意思も弱く、推進速度は遅かった。李大統領は、安全保障でも「どれだけ費用を抑えられるか」にこだわった。朴槿恵(パク・クンへ)大統領は軍を優遇したが、意思疎通が足りなかった。軍首脳部ですら、大統領とあまり会えなかった。李明博・朴槿恵両大統領いずれも、問題意識はあったが、軍の統帥権者としての哲学が十分ではなかった。切迫感にも欠けていた。

 半月ほど前、イスラエルが4段階からなる迎撃網を完成させたという発表があった。敵のミサイル攻撃を四つの手段で迎撃し、鉄壁の防御を張り巡らすシステムだ。イスラエルの国防費は、韓国の半分にもならない。韓国は、2倍以上のカネを使ってもこのありさまだ。イスラエルは備え、韓国は備えなかった。イスラエルは切迫感を持ち、韓国は切迫してもそうしなかった。その差が、安全保障上の脅威として返ってきて、韓国の首を絞めている。

 今や誰もが同意する、親北朝鮮主義者ですら否定できない事実がある。北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)労働党委員長は、決して合理的な人物ではないという点だ。「金正恩除去」が最も確実な解決法だということに、国際社会は同意している。

 ところが韓国には、金正恩の善良さを信じる「太陽楽観主義者」が依然として存在している。最大野党「共に民主党」の文在寅(ムン・ジェイン)候補はテレビ討論で、北朝鮮が「主敵」だと語ることを拒否した。一方で、南北首脳会談に言及することもあった。対話すべきときでも銃を持つのが安全保障だ。北朝鮮を主敵というなら対話は駄目、という論理はどこから出てくるのか。現在、北朝鮮はやくざじみたまねを続けているというのに、首脳会談に言及していいタイミングなのか。

 野党「国民の党」の安哲秀(アン・チョルス)候補は、北朝鮮に5億ドル(現在のレートで約547億円)送った違法送金事件には「功罪ある」と語った。どういう功績があったというのか。5億ドルが核とミサイルという形で返ってきているのに、怒る気にすらならない。

 北朝鮮とは対話も必要で、交渉もすべきだ。だからといって、対話そのものが目的になってはならない。金正恩は義理の叔父を銃殺し、白昼堂々よその国で異母兄まで殺害した。こんな人物が太陽政策のパートナーになり得るのか。太陽の光で包んでやれば、合理的な対話が可能だとでもいうのか。

 太陽政策は、理論的には立派な政策だ。しかし、非現実的な北朝鮮観が対策なき楽観論を生むという致命的欠陥を抱えている。まさかと思いながらも備えなかったために、こんなありさまになった。北朝鮮にだまされてきた安全保障の「失われた20年」が、ひたすら恨めしい。あれほどだまされたのに、まただまされるのか。

 

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