今年5月に文在寅(ムン・ジェイン)政権が発足した直後、国を揺さぶる問題は大きく分けて二つだった。米国の最新鋭地上配備型迎撃システム「高高度防衛ミサイル(THAAD)」と原子力発電所がそれだ。文大統領によるTHAAD配置の延期決定により、韓米間の葛藤は史上最高にまで達し、現在は潜伏している。脱原発を念頭に置いた新古里5、6号機の工事中止の発表で、韓国内部の葛藤は拡大している。

 大統領府が主導する争点のキーワードは、米国と反核だ。この二つの措置は、一体どんな背景から出てきたものなのか。両者の間に関連性はないのだろうか。この状況を理解するのに一助となる運動圏(左翼系の学生運動グループ)の歌が「反戦反核歌」だ。1980年代に学生運動の主軸である全国大学生代表者協議会(全大協)で何度なく歌われた歌だ。集会の主導者が「反戦、反核、ヤンキー・ゴー・ホーム」と叫び、これに呼応するかのように「大合唱」した光景が、今でも目に焼き付いている。「帝国の足の爪がこの領土、この山河を/引っかいていった傷痕に星条旗だけが翻り/核暴風の前夜に民族の生存を懸けて立ち上がる/(中略)反戦、反核、ヤンキー・ゴー・ホーム」。米国を南北統一を妨げる侵略者と見立て、戦術核兵器を追い出そうといった趣旨の歌だった。その頃でさえも話にならないといった主張は多かった。

 民主党が大統領選挙で勝利して以降、80年代の集会でこの歌を先唱した全大協の幹部たちが一人、また一人と大統領府に採用されていった事実に注目する必要性がある。秘書官クラス以上の大統領府秘書室の要職に、全大協所属の総学生会長、総女子学生会長として活躍した運動圏の10人が任命された。全大協で昔議長を務めたイム・ジョンソク秘書室長以外に、文大統領が毎日顔を合わせる3人の側近といえば、国政状況室長、第1、第2付属秘書官だ。これらの人物は、国民大、釜山大、梨花女子大の総学生会長としてイム室長と同じ時期に全大協で活動したメンバーだ。政務企画、政務秘書官も、全北大、円光大の「総学生会長」経験者だ。春秋館長は国民大の総学生会長を、市民社会秘書官は全北大の総女子学生会長をそれぞれ務めた。全大協連帯事業局長、文化局長を務めた人物は、それぞれ民政秘書官と演説秘書官を担当することになった。イム室長が指揮する26人の秘書官のうち実に9人(34%)が全大協で活動した経験を持つ人物なのだ。これら以外にも大統領府の至る所で全大協上がりの人物たちが行政官として布陣し、政策を指揮している。「全大協は文在寅政権のキッチンキャビネット(非公式の実勢グループ)ではないか」「大統領府は全大協に乗っ取られたようだ」などという言葉が決して大げさではないことがよく分かる。

 民主労働党のチュ・デファン元政策委員会議長は、大統領選挙の前から、文大統領が80年代の論理のとりことなっている運動圏の勢力にまんまと丸め込まれている、と批判してきた。事実上重要な政策決定は運動圏上がりが下し、文大統領は単なる「顔だけの人」というわけだ。こうした脈絡から、大統領府がTHAAD配置の延期を決断した背景には、過去「米国のやつら」と口走ってきた反米運動圏グループが見え隠れする。

 文大統領の「原発中断の意欲」も、反戦反核歌を流行させた全大協勢力の大統領府掌握と関連している、と考える人々もいる。反原発勢力は、米軍の戦術核兵器の撤収を主張した反米運動と同一線上にあるというのだ。韓国原子力研究所のチャン・インスン前所長は「北核問題には目をつぶっておきながら、最も安全に運営されてきた韓国の原発を問題視するというのは運動圏の論理ではないか」と主張する。

 全大協の活動を行い、「反戦反核、ヤンキー・ゴー・ホーム」を叫んだ人々のうち相当数が、大衆的な政治家として成長した後も相変らずグローバルな視野から見渡すことができていない、といった指摘を受けてきた。韓国よりもはるかに豊かに暮らす米国、英国、日本が再び原子力エネルギーに目を向けようとしている。権威ある国際機関は「原発が排出する二酸化炭素はその他のエネルギーとは比べものにならないくらいに少ない」という事実も発表してきた。こうした状況で、工程30%に迫りつつある新古里原発5、6号機の工事を中断しようという論理は、昔の思考にとらわれているのでなければ、普通に思いつくことではない。

 全大協は毎年光復節(日本による植民地支配からの解放記念日/8月15日)が近づくと、「行こう北へ、おいで南へ」と叫びながら通りを練り歩いてきた。南北共同イベントの開催に全てのことを懸けてきた。THAADと原発問題で80年代式の考え方を見せつけてきた全大協主導の大統領府が、今後南北関係もそのようにリードしていくようで気が気でない。

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