▲スポーツ部=姜鎬哲(カン・ホチョル)次長

 残業を終えて帰宅し、テレビをつけた。「すぐ寝てね」と言っていた妻が、テレビ画面に登場した選手を見て隣に座った。「ああ、朴泰桓(パク・テファン)ね。まだ選手をやっていたの?」。

 ハンガリーで行われている世界水泳選手権の男子自由形400メートル決勝。朴泰桓は世界のトップクラスの選手たちに混じり、水を力強くかき分けた。スタートは良かった。2004年のアテネ五輪でフライングによりレースができないまま失格になって以来、猛特訓で鍛え上げた泳力はそのままだった。しかし、時間が経つにつれてペースが下がり、結局メダルには届かなかった。妻は残念がりながらも、「それでも4位なら頑張った方じゃない? あの年齢ですごいわね」と感心した。

 朴泰桓は先月26日未明に行われた自由形200メートル決勝にも出場したが、8人の中で最後にゴールした。

 朴泰桓は世界のトップクラスとは程遠かった韓国の競泳を世界に知らしめた先駆者であり、その頂上に立った支配者だった。08年の北京五輪で韓国競泳史上初の金メダルを取った時の感激は、多くの国民がついこの間のことのように覚えている。ところが、4年後のロンドン五輪では中国の孫楊など若手選手たちに圧倒されて銀メダル2個にとどまり、逆風にさらされた。さらに、その年のドーピングテストで薬物を服用していたことが発覚、国際水泳連盟(FINA)から1年6カ月間の資格停止処分を受けた。朴泰桓は「薬(ヤク)泰桓」と呼ばれた。昨年3月に懲戒処分が終わってからも、大韓体育会との間で法的な争いを繰り広げることになった。そうした紆余(うよ)曲折の末、リオデジャネイロ五輪の舞台に立ったものの、彼に向けられる視線は温かいものばかりではなかった。「不祥事を乗り越えて再びメダルを取ってほしい」と願う人もいれば、「薬物を服用した選手がなぜ韓国代表になるのか」という否定的な見方をする人もいた。

 今回の大会で朴泰桓に向けられる視線は、リオ五輪時とは違うようだ。再起のため涙ぐましい努力をして試合に臨む朴泰桓を応援する声が高まっている。競泳選手の全盛期は普通、10代後半から20代前半までだ。だが、朴泰桓は今年9月に満28歳になる。今回の世界選手権の自由形200メートルと400メートル決勝出場者の中では最高齢だった。一度泳げば、体力回復がほかの選手よりも遅い。朴泰桓は200メートルの試合後に行われた記者会見で、「100メートルまでは良かったが、150メートルを過ぎると遅れ気味になった」と残念がった。しかし、彼を見守る人々は「1年前よりも記録がはるかに良くなった」と期待を見せた。朴泰桓の現役生活は短くて来年のアジア大会、長く見て19年の世界水泳選手権光州大会、さらには20年の東京五輪を目指している。

 アスリートにとって薬物服用歴は致命的だ。故意であれ手違いであれ、許されることも理解を得られることでもない。これまでの行動にもさまざまな批判があった。それでも多くの国民が、朴泰桓の「敗者復活戦」が美しい実を結ぶよう期待している。国民が見たいと思っているのは、大韓民国で唯一、五輪競泳金メダルを手にした朴泰桓のひたむきな汗と限界に挑戦する情熱だ。

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