▲文化部=金潤徳(キム・ユンドク)次長

 リュ・スンワン監督が悔しがるのも無理はない。日本による強制連行の歴史を描いた映画『軍艦島』が親日映画だと非難されている件だ。監督は「だからと言って『クッポン映画』(過剰なナショナリズムを広げる狙いで作られた映画)でもない」と言ったが、『軍艦島』は骨の髄まで愛国映画であり、反日映画だ。地下数百メートルの石炭採掘場で一花咲かせることもできずに死んでいった15歳の少年の叫びに憤りを感じない観客がいるだろうか。

 それよりも頭をかしげたくなったのは、リュ・スンワン監督の「二分法」発言だ。「日本帝国主義という時代背景に、善と悪という両極端な構図からアプローチして観客を刺激したくなかった」という言葉だ。映画の一部分は文字通り白黒の構図だ。日本人は女性まであくどく描かれ、朝鮮人も善人と悪人に分けられている。悪の側に属する人々をこの映画は断固として処断する。日章旗を引き裂き、鉱業所所長の首を飛ばし、親日の民族主義者を銃殺する。悪を懲らしめるためにフィクションとして登場したソン・ジュンギ演じる独立闘士がランボーのようにスクリーンを闊歩(かっぽ)するシーン、ろうそくデモへのオマージュである坑内集会のシーンは「評点テロ」(極端な低評価)の原因になっている。悲惨な歴史の現場をアクションシーンの撮影セットにしたという酷評まで出ているのは、怒りと報復の構図でヒットを狙った「1000万人動員映画」に対する一般の人々の倦怠(けんたい)感や抵抗感が積み重なった結果だ。

 太平洋戦争を舞台にしながら、『軍艦島』とは正反対の評価を受けている作品がある。先月、ソウル・明洞芸術劇場で初演され、好評を博した舞台『1945』だ。親日と反日、労働と抵抗のはざまを漂いながら生きなければならなかった光復(日本の敗戦=韓国の植民地からの解放)前後の朝鮮人たちを描いている。日本敗戦の知らせを聞き、故郷・朝鮮に帰ろうと満州(現:中国東北部)の救済所に集まった人々。その中には慰安所を脱出したミョンスクとミスクがいて、「私ももう少し生きなくてはいけないから、知らないふりをしてほしい」と哀願する慰安所の主人や彼女を愛するようになった客の男、子どもたちをわざわざ日本人の小学校に通わせた救済所の班長など、さまざまな人々が描かれている。

 待ちに待った新義州(現:北朝鮮西北部)行きの列車に乗り込む寸前、物語は破局に突き進む。ミョンスクとミスクが慰安婦で、ミスクはミズコという名の日本人だったことがばれたからだ。「この女二人を絶対に列車に乗せてはならない」という人々に対して、青年が異議を訴える。「つらい時代には自分だけ生き残ろうと顔を背けていたのに、今になってみんな独立闘士にでもなったかのように威張るんですね。私たちはみんなつらい目に遭ったんです。汚い泥水を、地獄を渡ってきたんです。みんな真っ黒になってあかにまみれたのは同じです。お互い洗い流してやらなければ。地獄から救い出さなければ」。脚本を担当したペ・サムシクは「みんな生きるためにもがいていた時代。絶対的な善人も、絶対的な悪人もいない。「敵味方を分けるのが論理と理性だ」という殻をかぶっていただけで、結局は暴力性にもつながっていた」と語った。

 偶然にも『軍艦島』と『1945』には同じせりふが出てくる。「何と言われても朝鮮の種だ」。国がない悲しみもつらいのに、集まればすぐに敵味方に分けたがり、言い争う姿を朝鮮人自らが冷笑するシーンだ。冬に光化門デモを目撃したメディアアーティスト界の巨匠でポーランド出身のクシュシトフ・ウディチコも問い掛けた。「ろうそくも太極旗も『民主主義を』『国のために』と叫びながら、なぜ両集団ともバリケードを築き、互いに軽蔑するだけで意思疎通を図らないのか」

 舞台『1945』の一番の見どころは、餅を売って故郷まで帰る費用を稼ごうと、救済所の朝鮮人たちがみんなで力を合わせて餅をつきながら平和だったころを歌う場面だ。歴史学者の申采浩(シン・チェホ)は、時代の流れを追って群れたがり、他人のせいにする韓民族の奴隷根性を叱咤(しった)したが、それと同時に韓民族は困窮の中でも隣近所の人々と餅をついて一口でも分け合った白衣民族だった。非常に感傷的なシーンではあるが、それにも増して客席が涙の海になったのは、韓国の現状がそれだけ暗鬱(あんうつ)としているからだろうか。北朝鮮の核問題が累卵の危うきにある今、敵味方の色分けや報復に余念がない為政者が恨めしいばかりだ。

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