大韓民国歴史博物館(ソウル市鍾路区)が常設展示室の内容を変更し、朴正熙(パク・チョンヒ)時代の経済成長に関する展示を大幅に減らす一方、民主化闘争、南北関係に関する内容を強化することを決めたという。文化体育観光部(省に相当)に提出された検討報告書によると、1953年から87年までを「独裁と民主、そして産業化」という括りでまとめて展示するとしているが、12の小テーマのうち、産業化に関するテーマは1つだけだ。残りは李承晩(イ・スンマン)、朴正熙、全斗煥(チョン・ドゥファン)政権への批判と民主化闘争史で埋め尽くされるのだろう。南北関係関連の展示には文在寅(ムン・ジェイン)大統領と金正恩(キム・ジョンウン)が板門店の遊歩道で会談する様子の写真も展示するという。

 今年3月までは「大韓民国の成長と発展」という展示室が別途設けられ、経済開発計画からドイツ派遣鉱山労働者・看護師、輸出中心の経済成長などを大きく扱っていた。高度成長の影の部分、1960年代から80年代までの民主化運動の資料も展示されていた。南北関係関連の展示としては、2000年の「6・15南北共同宣言」、延坪海戦で戦死したチョ・チョンヒョン中士(二等軍曹)の遺品などがあった。

 現政権になって、大韓民国の歴史は社会運動の歴史に塗り替えられたようだ。特に李承晩、朴正熙を執拗に消し去ろうとしている。今年4月の大韓民国臨時政府樹立100周年を迎え、ソウルの都心に独立運動家10人の大型肖像画を掲げながら、臨時政府の初代大統領である李承晩は外した。2017年の朴正熙生誕100年の際には記念切手の発行が中止され、朴正熙記念図書館にもまだ朴正熙の銅像を建てられずにいる。

 米ワシントンにある米歴史博物館を訪れると、その雄壮な規模と周到な展示演出にも驚くが、愛国心と自負に満ちた米国人のプライドに感嘆させられる。大韓民国の歴史で最も誇らしい事実は世界の最貧国が世界10位圏内の国になった奇跡である点に誰も異議はないだろう。経済発展がなければ、民主化も不可能だった。また、粗末な土壁の家で救援物資を頼りに暮らしていた国が世界で7番目に人口5000万人、所得3万ドルの国になれば、その歴史は当然歴史博物館の中心的な位置を占めるべきだろう。

 博物館は評価に異論がないか、評価が完了した資料を展示する場所だ。金正恩は核を放棄する考えが今後もないだろうし、対話をしていたかと思えばミサイルを発射する。それでいて、昨年の南北首脳会談の写真を博物館に掲げるというのか。世宗市と青南台(大統領別荘)の大統領記念館からも朴槿恵(パク・クンヘ)前大統領の写真を外し、文在寅大統領の広報展示をしているというのだから、今や博物館までもが権力を広報し始めたようだ。歴史博物館ではなく、政権博物館ではないかという声が上がるのは当然だ。

ハン・ヒョンウ論説委員

ホーム TOP