萬物相
【萬物相】43年前に起こっためぐみさんの拉致を記憶する日本
13歳の少女だった横田めぐみさんは1977年、日本の新潟市で下校中に北朝鮮工作員に拉致された。拉致された日本人17人の中では最も幼かった。父の横田滋さんが先日87歳で死去したとのニュースに、日本社会が悲しみに包まれている。テレビなどは追悼番組を放映し、新聞は社説を通じて哀悼の意を表した。安倍首相は「全力を尽くしてきたが(めぐみさんの帰国を)実現させられず、断腸の思い」「申し訳ない思いでいっぱいだ」と述べた。
めぐみさんが失踪した当時は、北朝鮮の犯行であることは分からなかった。1997年に日本に亡命した工作員が暴露したことで、拉致されていた事実が明らかになった。めぐみさんは海岸に連れられ、40時間以上にわたり船の中に監禁され、泣き叫びながら船室の壁を爪で引っかいたため、北朝鮮に到着する頃には手が血だらけだったという。娘の拉致は平凡なサラリーマン家庭をあまりにも悲惨な悲しみに追い込んだ。滋さんは引っ越しを繰り返しながらも、ペンでめぐみさんの「め」の字が書かれた段ボールを大切にしていた。そこには娘のパジャマや教科書、好きだった漫画「ベルサイユのばら」などがいっぱいに入っていたという。
滋さんは拉致被害者家族会の代表となった。妻と共に日本全国を回りながら娘の救出を訴え、署名運動なども行った。講演も1400回以上行った。北朝鮮は2002年、当時の小泉首相が訪朝した際、初めて拉致の事実を認めた。しかしめぐみさんについては「娘を生んでから1994年にうつ病で自殺した」と説明した。10年後、めぐみさんの遺骨が日本に送られたが、DNA鑑定の結果、別人のものだったことが確認され、めぐみさんの行方は今も五里霧中だ。
滋さんは2014年、モンゴルのウランバートルでめぐみさんの娘で孫に当たるキム・ウンギョンさんと会った。帰国後の会見では「明るくてよく話す子だった。ウンギョンさんはめぐみよりも幸せではないだろうか」と述べた。その後、滋さんは急速に健康が悪化し、病院に入院して数年が過ぎた。病室の壁にはめぐみさんの写真が数多く飾られていたという。めぐみさんが拉致される前日、父に誕生日プレゼントとして買ったくしも43年間大切に持ち続けてきたが、最終的に娘に会えないままこの世を去った。
6・25戦争以降、北朝鮮に拉致された韓国人は500人以上だ。めぐみさんが北朝鮮で結婚した夫も韓国の西海岸で拉致された高校生だった。今はそのような話をする人もいない。世界最悪の独裁者が野蛮な言葉を並べ立ててもそのご機嫌をうかがい、脱北の意志を伝えた若者が人身御供(ひとみごくう)のように強制的に北送されるのが今の韓国の現状だ。顕忠日の追悼式には哨戒艦「天安」の遺族も招待されなかった。これでは拉致被害者の送還は他国の話としてしか聞こえないかもしれない。
鄭権鉉(チョン・グォンヒョン)論説委員