ソウル特別市葬を執り行っただけではまだ足りない様子だ。「清廉な人物」「あまりに大きな人物」という表現に加え、「朴元淳(パク・ウォンスン)のような人物は100兆ウォンあっても取り戻せない」といった称賛まで登場した。汚点はちりほど小さいわいせつ容疑だけだ。それを除けば、朴元淳氏は市民・人権運動家として弱者のために生き、完璧なソウル市長だったというのだ。

 街頭には「あなたの志を忘れません」という民主党の横断幕も掲げられた。しかし、朴氏が9年間にわたりソウル市長を務め、どんな業績と価値を残したのかはあまり思い出せない。代わりに私にとって印象に残る彼のイメージはある。2018年夏、ソウルの江北地区で屋塔房(オクタプバン=屋上に増築された住居)での居住体験をしている姿だった。テレビ画面にはぎこちなくうちわを使う朴元淳夫妻の姿が映し出された。エアコンは設置できないにしても、屋塔房の人々も扇風機ぐらいは使っているのになぜあんなことをしているのか、ソウル市長はやることがないのかと思った。我々の世代の地方出身者でソウルで大学に通ったならば、タルトンネ(丘の上の貧民街)生活を知らないはずはない。

 その時間に冷房の効いた執務室で最高のコンディションを維持して働いてくれたならば、ソウル市政にもっと役立ったはずだ。屋塔房に1カ月住むのに必要だった保証金は200万ウォン(約17万8000円)だった。夫婦が一時住むために屋塔房を修理した費用は別途だ。公邸がある朴氏が純粋に「体験ショー」を行うために余計に使ったソウル市の予算だった。もっと見苦しいのは秘書官2人を横の部屋に住まわせたことだ。政治家は本来ショーを行うが、こんなショーを見たのは初めてだ。

 朴市長というと思い出すイメージがもう一つある。PM2.5(微小粒子状物質)がひどかった2018年初め、3日間の「通勤時間帯の公共交通機関無料」を発表したことだ。バスや地下鉄の料金を払わずに出退勤した会社員は気分がよかったはずで、自家用車の運転者は渋滞が減って楽だった。それが税金150億ウォンを投じて得られた効果だ。自分が働いて稼いだカネであれば、決してこんなばらまきは行わなかったはずだ。その後もPM2.5はひどいままだ。

 最近まで朴市長はそんな市政運営をしてきた。そうやって大衆の歓心を買おうと尽力したが、支持率は上がらなかった。朴市長は次期大統領の座を狙うため、ソウル市が与えることができるポストに市民運動家を据えてきた。わいせつ容疑はともかく、そんな朴氏をソウル市長のモデルかのように仰ぐことは自分たちの想像にとらわれている人々のなせる業だ。

 韓国初のセクハラ訴訟で勝訴を勝ち取った「人権弁護士」というタイトルが今回の事件で使えなくなると、与党は「美しい財団」「美しい店」「希望製作所」「参与連帯」など朴市長の市民運動の業績を称えている。朴市長が設立した「新しい財団」は主に大企業と資産家から寄付金を受け取った。それを「世の中で最も美しいお金の使い方」だとした。大統領選を控えた李明博(イ・ミョンバク)元大統領もソウル市長時代、報酬全額をこの財団に拠出した。しかし、朴氏が財団を運営する間、寄付金数十億ウォンが「狂牛病デモ」「自由貿易協定(FTA)反対デモ」などを主導した左派団体に支援された。

 「新しい店」は家で不要になった服や家財道具の寄付を受け、安く転売するリサイクル活動を行う趣旨で設立された。実際には大企業から寄贈された在庫品が多数を占めた。「希望製作所」も地方自治体や大企業からの委託を受けて運営された。それが可能だった理由は「市民団体の威力」の存在以外に説明がつかない。

 朴氏はポスコやプルムウォンなどで社外理事(社外取締役)を務めた。「Xファイル事件」以降、コーナーに追い詰められたサムスンから研究費として5000万ウォンを受け取った。朴氏は市民運動の拡散には寄与したが、それに劣らず市民運動本来の精神を堕落させた。市民団体が大企業を食い物にし、権力志向的に変わっていった背景には明らかに朴氏の役割があった。

 朴氏が安哲秀(アン・チョルス)氏とソウル市長出馬交渉をするために登場した際に着ていた登山服も企業の協賛によるものだった。ソウル市長になった後、ある与党議員が「市長はたくさんの協賛を受けているが、本人の月給を社会に還元したことはないですね」と質問すると、朴氏は「自分は何しろ貧しくて」と答えた。

 しかし、盧泰愚(ノ・テウ)政権時代に朴市長宅で2-3カ月隠れ住んだことがある張琪杓(チャン・ギピョ)先生の記憶は異なる。

 「ソウルの東橋洞ロータリー近くにある彼の家は白い煉瓦の壁の中にある2階建ての西洋家屋だ。庭に芝生が敷かれた邸宅だった。当時朴元淳は弁護士として多額を稼いだ。そんな彼がソウル市長まで務め、借金を7億ウォンも残したというニュースを見て、いったいどうやって暮らしてきたのか理解できなかった」

 民主化補償金などを全て辞退し、生涯を素朴に暮らした張先生はこう評した。

 「死はそれまでの人生の総括だ。どのように死ぬのかを見れば、どう生きて生きたのかが分かる。まともに死ぬためには正しく生きなければならない。公的にみて朴元淳の人生は偽善的で破廉恥だ。彼が『清廉な人間』ならば、決してこんな結末になるはずはない」

チェ・ボシク上級記者

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