昨年12月16日に青瓦台に辞意を表明した秋美愛(チュ・ミエ)法務部長官が自分から辞意を表明したのではなく、事実上「更迭」されたという説が法曹界で話題になっている。秋長官がまだ青瓦台に辞表を出さずに長官職を遂行していることについても、いぶかる声がある。「辞意」表明当日に辞表が処理され、直ちに次官による代行体制が取られたチョ・グク前法務部長官のケースとは異なるとの指摘だ。青瓦台は「秋長官が辞意を表明したのはその通りで、辞表を提出したかどうかは確認できない」とコメントした。

 本紙の取材を総合すると、昨年12月16日に秋長官は尹錫悦(ユン・ソクヨル)検察総長に対する停職2カ月の懲戒処分の裁可を受けるため、青瓦台に入り、文在寅(ムン・ジェイン)大統領と会った。席上、文大統領は内閣改造などの必要性を説明し、「辞任してほしい」と求めたが、秋長官は拒んだという。それを受け、文大統領は「更迭」の意思を表明し、秋長官はようやく文大統領の要求を受け入れたという。

 それを発表する過程もスムーズではなかったという。当日文大統領との会談後、本来は秋長官が直接青瓦台記者室がある春秋館に寄り、本人が去就を表明することになっていた。100%自主的な辞任である形を整えようとした格好だ。しかし、秋長官は当初の約束に反し、そのまま青瓦台を離れてしまったという。大統領の要求に対する「不服」とも取れる行動だった。

 当時青瓦台は国民疎通首席秘書官の記者説明を通じ、「秋美愛辞任」を公式化した。鄭万昊(チョン・マンホ)国民疎通首席秘書官は「文大統領が秋長官の辞意表明と去就表明を高く評価した」と発表した。法曹界関係者は「秋長官の口を封じようとくさびを打ち込んだものだ、その後、青瓦台は記者説明を通じ、秋長官の辞任を何度も既成事実化しようとした」と指摘した。

 法曹界関係者は「その後、秋長官は辞表提出などの手続きを踏まず、青瓦台を困惑させたと聞いている」と話した。秋長官は昨年12月16日に青瓦台に行く直前、「権力機関改革3法」の記者説明を行い、「検察改革の使命を完遂することを約束する」と発表した。数時間に辞意を表明する人物の行動とは思えない。

 12月初めにも「秋美愛辞任論」が与党幹部で浮上したが、立ち消えになったという。丁世均(チョン・セギュン)首相は12月1日、閣議の直前に秋長官を呼び、10分間2人だけで会談し、去就の決断を迫ったという。当時は丁首相が尹錫悦検察総長と秋長官の同時辞任の必要性を指摘していた。しかし、秋長官は要求に応じなかったという。

 秋長官は今も長官職を務めている。朴範界(パク・ポムゲ)次期法務部長官の任命手続きが正常に進むとして、今月末までは表面的には長官の役割を果たすとみられる。

 与党関係者は「民主党代表だった当時から秋長官は『アンコントローラブル(制御不能)』と呼ばれていた。今回も青瓦台の命令が通じなかった格好だ。秋長官が頼りにしている熱狂的な文大統領支持層がいるため、青瓦台も秋長官を刺激しないでおこうということのようだ」と話した。与党の一部からは「その後、予想していなかったソウル東部拘置所でのコロナ集団感染が起き、責任論が浮上したことも影響を与えたはずだ。担当閣僚である秋長官がポストに留まる方がよいという計算も青瓦台にはあったようだ」との声もある。

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