▲5・18民主化運動41周年を迎えた今年5月18日午前、韓国政府主催の記念式が執り行われた光州市北区の国立5・18民主墓地の入り口でムン・フンシク会長の会場への入場を反対派たちが妨害し、もみ合いになった。/キム・ヨングン記者

 解体中のマンションが走行中のバスを怪物のように襲った。今年6月9日、17人の死傷者が出た光州バス惨事だ。「下請けと孫請けの関係が延々と続く構造」「再開発の不正入札」などさまざまな雑音も出た。事件を通じて浮上した人物の中に「5・18拘束負傷者会」のムン・フンシク会長(61)の名前があった。しかしその名が実際のニュースに登場したのは6月15日に警察が発表した「ムン・フンシク立件、2日前に米国シカゴに出国」という内容を通じてだった。ムン氏は以前から警察の管理対象リストに名前が上がっていた人物だ。それにもかかわらず警察は彼の出国を把握できなかったのだろうか。「お前が行け、シカゴに」という映画のせりふが思い浮かんだ。

 光州(5・18民主化運動)関連の三つの団体のうち、会員数が最も多い団体の会長が傷害など少なくとも前科4犯の元暴力団員だったとのニュースに世論は大きく反応した。大統領の後ろに写っていた写真、李在明(イ・ジェミョン)京畿道知事と腕を組んで写った写真も大きな話題になった。彼は一体どのような人物なのか。ある進歩系の人物に質問したところ「私も気になってあちこちに聞いたら、そこにいる人たちも誰も知らなかった。ある日突然登場したそうだ」と答えた。

 ムン氏は2017年に光州市主催の第7次補償審議委員会(委員長は光州市長)を通じて最も低い14級の障害が認定され有功者となった。それから2年後には拘束負傷者会の会長にも就任した。過去のニュースはムン氏について「1980年5月20日に光州駅の地下室から2体の遺体と一人の負傷者を手押し車で運び出していたところを逮捕され、釈放後に再び逮捕された」「軍靴によって手を踏みつけられ殴られた」などと紹介していた。その後はKBS放送時事番組「時事直配送」がムン氏の怪しい過去について報じた。それによると当時の審議委員は「ムン氏は顔の識別ができない白黒写真を証拠として提出した。5・18団体長の一人が『私が保証する』と言ったので、私も通過させた」と証言し、べつのある民主化有功者は「あの日の遺体は市庁の噴水台で回収した」と暴露した。拘束負傷者会は6月16日の声明で「組織暴力団の元組員という過去を隠蔽(いんぺい)し、5・18有功者に成り上がった」などと批判した。これらの証言や声明の意味する内容が今では一層重くのしかかってくる。

 こんな話も聞こえてくる。「ムン・フンシクが会長に出馬する前、米軍の情報員と名乗る人間を連れて光州市内のあちこちを回ったそうだ」というものだ。

 時計を過去に戻してみよう。2017年に文在寅(ムン・ジェイン)大統領が「5・18発砲真相解明」を掲げ、国会では「民主化運動真相解明特別法」が成立した。2019年春には「米国501情報団(米軍の秘密情報組織)に所属する軍事情報官」だったと名乗るキム某氏が登場した。「1980年5月に当時の全斗煥(チョン・ドゥファン)戒厳司令官が光州を訪れ、鎮圧命令を下したとする報告書を作成し、米国大統領にもこれが提出された」と主張した。JTBCテレビがこれを繰り返し報じ、キム氏は国会でも証言した。「全斗煥が現場で陣頭指揮」という爆弾発言とも言える内容だった。1980年の記録を英語に訳し、資料を分析したある人物がその後「確認したところ、キム氏は軍事情報官ではなかった」と主張し反論を始め、その後も再反論が続いた。しかし大衆は「全斗煥が現場で指揮した」という話をすでに既成事実化していた。発生から40年が過ぎ、「光州」は再び熱くなった。

 古今東西、ソウル・光州・釜山に関係なく人間が生きる社会はどこにでも「玉にきず」がある。光州民主化運動関連の3団体が光復会、在郷軍人会などと同じ地位の「公法団体」に昇格したからこそ、この「きず」の解明と修復は今後一層強く求められるだろう。だからこそあえて質問しなければならない。「ムン・フンシクを有功者に、あるいは会長に仕立てた黒幕は誰だったのか」と。

 貝の口を無理にこじ開けようとすると、貝はその口をもっと強く閉じようとする。5月の光州を否定し、光州市民を侮辱すれば刃(やいば)を当てることを自分から難しくするということだ。光州の最後の指名手配犯だったユン・ハンボン氏は帰国後の1994年には5・18記念財団発足の中心的な役割を果たしたが、その後はいかなる地位にも就かなかった。彼が書いた設立宣言には「5月は名誉ではなく軛(くびき)であり、債権でも利権でもなく債務であり、犠牲であり奉仕です。5月は光州のものでも、拘束者、負傷者、遺族のものでもなく祖国のものです」と書いてある。最初に来るのは国民からの認定と声援であり、その次は当事者の勇気だ。

パク・ウンジュ(エディター)

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