身長188センチメートルの走り高跳び選手・禹相赫(ウ・サンヒョク、25)は東京五輪の陸上男子走り高跳び決勝が行われる1日朝、体重計に乗った。目盛りは「69.5キログラム」。成人してから一番軽い体重だった。彼は「やった!」と叫んでキム・ドギュン・コーチと抱き合った。

 この2年間、自分自身を限界まで追い込んだ結果をその目で確認し、自信がわいてきた。ハンバーガー・ピザ・チキンなどには目もくれず、野菜だけ食べて毎日を過ごした。今年3月にキム・コーチの勧めで入隊までした。軍隊生活で節制する力を鍛えれば記録が上がると思ったのが理由だった。10歳で走り高跳びを初めて知り、14年間にわたりバーと人知れず格闘してきた一等兵・禹相赫は7月30日に予選を7位(2メートル28)で通過した。1996年アトランタ五輪のイ・ジンテク以来、25年ぶりの決勝進出という快挙を成し遂げたのだ。

 1日夜、国立競技場のトラックに再び立った禹相赫は、決勝に進出した13人の選手のうち世界ランキングが30位と最も低かった。軍人の挙手敬礼をして入場した禹相赫は思い切り跳躍した。2メートル19から始まり、2メートル24、2メートル27、2メートル30を一度も失敗せず、1回目で軽く跳び越えた。2メートル33も2回目で跳び越え、続く2メートル35も突破した。イ・ジンテクの韓国記録(2メートル34、1997年)を24年ぶりに更新した瞬間だった。だが、3人が2メートル37を成功したため、メダル獲得は惜しくも果たせなかった。最終結果は2メートル35で全体4位。禹相赫にとって個人最高成績であり、韓国陸上界にとっても五輪で過去最高順位だ。

 競技後、一等兵・禹相赫は涙ぐみながら笑った。「正直言って、今、本当に夢みたいです。記録を1センチメートル上げるのに一生かかることもあるのに、私は五輪で自分の記録よりも4センチメートルも高く跳びました。メダルはありませんが、後悔せずに自分のすべてが出し切れて本当にうれしいです。走り高跳び選手は自分の身長よりも50センチメートル上の高さが『魔の壁』です。私の生涯の目標は2メートル38です。2024年パリ五輪では優勝を目指して挑戦します」。

 禹相赫は右足の方が左足より1センチメートル短い。8歳の時に自動車の車輪で右足をひかれる大きな事故に遭った。このためしばらくの間、右足の成長が止まった。跳躍時にバランスが取れず、平衡感覚をつかむのに大変な苦労を経験した。しかし、たゆまぬ努力で弱点をなくしてきた。

 走り高跳びの金メダルは2選手が分け合った。世界選手権2連覇(2017年・2019年)のムタズエサ・バルシム(30)=カタール=とジャンマルコ・タンベリ(29)=イタリア=が2メートル37に成功、試技数も同じで2人で金メダルを手にした。

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