東京オリンピック柔道の審判16人のうちオリンピックで入賞経験があるのは1人だけだった。1996年のアトランタ大会女子52キログラム級で銀メダルを獲得した国際柔道連盟(IJF)の玄淑姫(ヒョン・スクヒ)審判員だ。現役の選手生活は短かった。肘や腰のけがで1997年に引退し、99年から審判となった。審判員として2回目のオリンピックに参加した玄委員にソウル市内の光栄女子高校でインタビューを行った。

 この高校で体育教師と柔道部監督を務める玄委員は「柔道が面白くなくなった」との指摘に「審判の責任が大きい」と答えた。「ほとんどの場合、審判はオリンピックに参加するのははじめてで、選手たちに『指導』をあまり行わないような雰囲気だった。指導を果敢に行い、試合が始まると同時に攻撃的な組み手を行わせるべきだと思う。そうなれば力が残っているときに相手を強く投げ飛ばそうとするはずだ」。

 審判の判定に対して特に大きな抗議などはなかったが、試合時間(4分)はほとんどの試合で相手を探るだけで終わった。玄委員は「延長戦(ゴールデンスコア)があまりにも多かった。選手たちは後になるとみんな力が尽き、攻撃らしい攻撃はできなくなった」「自分が立ち上がるだけでも大変なのに、どうやって相手を倒すのか」と指摘する。一貫性も問題だった。玄委員は「試合時間中も誰がみても反則だった時にそのままやり過ごすとか、延長戦になって同じような状況で指導を与えるケースも多かった」と語る。最終的に延長戦で反則負け(指導3つ)になるとか、無理に攻撃的に出てやられるケースも繰り返された。「見ていて退屈」と言われるのも無理はなかった。

玄委員は「チョ・グハム(KHグループ・ピルルックス)=29=と日本のウルフ・アロン(25)の男子100キロ級決勝も同じような試合だった」と評価している。玄委員は「チョ・グハムがウルフの襟をつかもうとした時、ウルフがこれを振り払う際にルールに反する動作が何度も繰り返された」とした上で「審判が最初からウルフに指導を与えていれば、試合の流れはかなり変わっていたかもしれない」と分析した。しかし審判は指導を与えず、チョ・グハムは延長5分35秒で大内刈り一本で敗れた。

 チョ・グハムの銀メダルは今回の東京オリンピックで韓国の男女を通じて最高の成績だった。韓国は2016年のリオデジャネイロ大会に続き2大会連続で金メダルなし(銀1、銅2)で終わった。女子は1つもメダルがなかった。玄委員は韓国が期待された結果を残せなかった原因としてコロナ渦を上げる。

 「韓国だけがコロナ渦で被害が出たわけではなかったが、欧州は雰囲気が違った。欧州では選手たちは大会に何度も出場し、稽古の機会も多かった。これに対して韓国選手たちは組み手の練習を多くはできず、2週間の隔離も何度もあった。柔道で『有効』がなくなったため試合がやや冗長になり、体力のある強い選手が有利になった。韓国選手たちは体力が低下していたということだ」

 韓国選手の強みはパワーと技術の調和だった。しかし今回は体力と筋力で相手を圧倒できなかっただけでなく、技術の多様性という面でも海外の強豪に比べて見劣りした。玄委員は「背負い投げのような大きな技を決めるには、まず多く動き小さな足技で先に相手を揺さぶらねばならない」「弟子たちにも『まずは根を揺さぶらないと木を倒せない』と教えている」と説明した。

 今年は不振だったが、韓国柔道に対する玄委員の信頼は今も厚かった。玄委員は「帰国した日に空港で後輩たちに会った時『1枚ずつサインしてほしい』と声をかけた。みんな残念そうだったが、次のパリ大会に向けてすでに覚悟していた。韓国柔道が3年後のパリ大会で1万5000人の観衆の前で再びかっこよく喜びの声を上げると信じている」と最後に締めくくった。

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