「昨年の自民党総裁選挙、私は(菅義偉・現首相に)敗北し、『岸田はもう終わった』と厳しい評価の声も聞いた。しかし、過去1年で私は変わった。『戦闘的ではない』『戦おうという姿勢ができていない』という印象があったが今は違う」

 昨年の自民党総裁選で菅首相に大差で敗北した岸田文雄氏(64)が日本の首相に就任する。岸田氏は29日、決選投票で河野太郎・行政改革担当相(58)を破って圧勝した。10月4日の臨時国会で首相指名選挙を行い、首相に選出される。岸田氏は当選直後の演説で自信ある声で、「岸田文雄の特技は人の話をよく聞くことであります。皆さんと一緒に開かれた自民党、そして明るい日本の未来を目指して努力をする覚悟であります」と語った。

 岸田氏は自民党の典型的な「世襲のおぼっちゃま」と言える政治家だ。東京・渋谷区出身だが、本籍は広島県であり、3世代がいずれも原爆被害地の広島選出の衆議院議員を務めた。東大を目標に三浪したが失敗し、早大に入ったことを除けば、大きな挫折なく出世街道を突っ走った。大学卒業後、日本長期信用銀行で5年勤務し、1987年に当時衆議院議員だった父・岸田文武の秘書として政界入りした。父の死去後、選挙区(広島1区)を引き継ぎ、93年に初当選した。現在は9選で自民党広島勢力の中心人物だ。

 2001年に小泉内閣で文部科学副大臣に任命された後、要職を相次いで務めた。07年に第1次安倍改造内閣で内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、規制改革、国民生活、再チャレンジ、科学技術政策)で初入閣。第2次安倍内閣の12年には外相に任命された。17年まで4年7カ月にわたり外相を務め、戦後最長の外相在任記録を打ち立てた。15年には韓日慰安婦合意を実現し、16年にはオバマ元米大統領による広島原爆被害地訪問も主導した。

 岸田氏は外相退任後、自民党の要職である政務調査会長を務めた。知名度を高める上で役立つポストであり、「首相の座を念頭に置いた動き」だと評された。安倍氏は首相在任中、岸田氏を自身の後任に挙げ、「本当に誠実だ。相手を尊重するので、岸田と一緒にいれば楽だと感じる人が多い」と高く評価した。2人は93年に衆院議員に初当選した同期で、健康問題で酒を飲めない安倍氏の代わりに岸田氏が助っ人になり、全て飲み干したというエピソードも伝わる。

 岸田氏は自分の長所として「人の話を聞く力」を強調した。今回の総裁選出馬記者会見にも人の話を聞いて記した「岸田ノート」を持参し、「過去10年間に書いたノートが30冊になる」とアピールした。慎重で温和な性格のおかげで「敵をつくらない政治家」とも呼ばれる。そんな岸田氏に対しては、「人格は立派だが優柔不断だ」という批判が伴う。政治化として明確な主張をせず、周辺の視線を気にして、中途半端な答えばかりだからだ。落ち着いた話し方も長所であると同時に短所に数えられる。岸田氏が地方遊説に出ると、客席の大半は居眠りしているという証言が聞かれる。「永田町で一番つまらない男」というあだ名がつくほどだ。

 岸田氏が自民党で由緒正しい保守本流「宏池会」の直系だという点は今後の韓日関係に重要に働く可能性がある。岸田氏が率いる「岸田派」の根は宏池会にある。宏池会は伝統的に韓国・中国など周辺国との外交、アジア太平洋の中の日本を重視する。それだけに宏池会が輩出した首相は韓日関係に大きな足跡を残した。朴正熙(パク・チョンヒ)政権国家再建最高会議議長(当時)と韓日国交正常化を最初に話し合った池田勇人、「金鍾泌(キム・ジョンピル)・大平メモ」の当事者である大平正芳、太平洋戦争に対する反省と責任を主張した宮沢喜一などの歴代首相が代表的だ。慰安婦問題を認めて謝罪した「河野談話」の河野洋平官房長官(当時)も宏池会の所属だ。

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