13世紀初め、ベトナムの李朝の王子が王朝交代期を避けて中国の宋を経て高麗に亡命した。彼が対モンゴル戦争で功績を立てると、高麗の高宗は黄海道金川郡花山の地を下賜し、彼を花山君に封じた。花山李氏の始祖だ。ベトナム政府は花山李氏を李朝の子孫として認め、税金・事業権・出入国の面でベトナム国民と同等の権利を付与している。

 巨大帝国・中国と隣接しているせいで、韓国とベトナムは似たような歴史の試練を経験した。漢は、ベトナム北部に「南海九郡」を、古朝鮮の地に「漢四郡」を設置した。唐代はベトナムに安南都護府、高句麗の地に安東都護府を設置し、支配力を行使した。植民地を経て分断、戦争を経験した点も似ている。世界最強の米軍が苦戦を免れなかった二つの戦場が、韓国とベトナムだった。6・25戦争は米軍が初めて勝利できなかった戦争で、ベトナムでは屈辱的敗北を経験した。韓国が米国側に立ってベトナム戦争に参戦したことで、両国は敵同士になった。

 冷戦終息を受けて1992年に韓国とベトナムが再び国交を結んだ当時、韓国の外交チームは、ベトナムが戦争の賠償責任を要求するのに備えて対応論理を準備した。だが交渉の過程で、一言半句たりとも賠償の話はなかった。国交の印を押した後、ベトナムの外交官に理由を尋ねると「過去よりも未来の方が重要」と答えたという。当時ベトナム側の交渉実務者だったパム・ディエンバンは、駐韓国・駐北朝鮮大使を25年間歴任した韓国通だ。3人の息子のうち、長男は韓国大企業の社員、次男は駐北朝鮮大使、三男は駐韓ベトナム大使館職員として勤務しており、代を継いで韓国とベトナムの架け橋となっている。

 国交正常化から30年(12月22日)を経て、両国は経済共同体になった。今年、ベトナムは中国を抜いて韓国の最大の貿易黒字国となった。ベトナムに進出した韓国企業はおよそ4000社、雇用人数は100万人に達する。ベトナムの輸出のうち韓国企業の割合が35%を占めるほどだ。韓国企業の報酬はベトナム企業の2-3倍に達するので、韓国語を学ぼうというブームが起きている。韓国語が英語を抑えて、ベトナムの第一外国語になったという。

 また韓国とベトナムは、両国の青年にとって、互いに「機会の地」になっている。ある韓国の青年は、ベトナムで中古オートバイ取引プラットフォーム(OKXE)を創業し、毎月10万台以上の取引を仲介するほど大きな成功を挙げた。逆にベトナムのエリート青年らが留学後、韓国に定着して教授、警察官、公務員、証券アナリストなどとして活躍するケースも増えている。一時は銃口を向け合った敵国が、今では互いに「ウィンウィン」の共生関係へと生まれ変わった。

金洪秀(キム・ホンス)論説委員

ホーム TOP