▲韓国大学生進歩連合のメンバーが5月18日午後、ソウル市竜山区の戦争記念館前で記者会見を開き、屈辱外交・売国外交などの理由で尹錫悦大統領の退陣を要求している。2023.5.18/写真=ニュース1

 ソウルが「ふるさと」だという日本人Aさんと会ったことがある。1932年に竜山で生まれたAさんは「友だちと遊んでいた街角の路地が懐かしい」と語った。目頭が濡れていた。韓日併合から100年となる2010年に取材の過程で会ったAさんは「1945年8月の終戦後、両親と共に暮らしていた2階建ての家や家財をそのまま残して日本に渡った」と語った。10代前半まで暮らしていた「なじみ」の竜山を離れて「見慣れぬ」日本本土で新たな暮らしを始め、かなり苦労したという。Aさんも歴史の激浪に巻き込まれた被害者だと感じた。自分の意思とは無関係に植民地の首都で生まれたAさんが、子ども時代を過ごした場所を懐かしむ感情を、間違っていると言えるだろうか。侵略国の国民として生まれた原罪だから仕方がないと考えるのは、具体的な個人の苦痛を無視することではないだろうか。もしや、こう考えたら親日派なのか。

 1945年8月当時、Aさん一家のように植民地朝鮮に居を構えて暮らしていた日本人の数は71万人に達する。住んでいた家や財産を処分できず、追われるように引き揚げ船に乗った。米軍政は、韓半島居住日本人の財産を差し押さえ、日本人を本国へ撤収させることを最も急ぐべき任務とした。光復直後、日本人が残していった財産はおよそ52億4600万ドル(現在のレートで約7369億円。以下同じ)で、その当時、韓国の総資産価値の80-85%に達するという研究(イ・デグン『帰属財産研究』)がある。このうち、民間企業および個人財産が占める割合は81%。生涯暮らそうと思っていた「故郷」に苦労して築いた財産をそのまま残して去らねばならなかった日本人の個人にとっては、血涙の出る苦痛だったことだろう。他人の国を奪った日本なのだから痛快なことだと思うのは、ヒューマニズムに反する態度ではないだろうか。もしや、こう考えたら親日派なのか。

 国際法は、敗戦国国民の私有財産をむやみに奪うことはできないと定める。1907年のハーグ万国平和会議で改正された「国際陸戦条規(ハーグ陸戦条約)」は、付属書第46条で「私有財産ハ之ヲ没収スルコトヲ得ス」と定めた。日本は当初、米軍政が朝鮮半島の日本人の私有財産を没収したのは国際法違反だと強く抗議した。これに対し米国は、日本から戦争賠償を受け取れなかったので米軍政に帰属した日本人財産は戦争賠償金に該当する、と主張した。48年8月に樹立された大韓民国政府は、そのおかげで、米軍政が没収した日本人財産をそのまま譲り受ける幸運にあずかった。財産を永久に奪われた日本人の個人としては、あまりにも無念なことだったろう。

 こういう事実を知って65年の韓日協定の過程を振り返ってみると、当時、韓国政府が得た結果は外交的勝利と言っても過言ではない。51年から14年4カ月にわたり、1500回も開かれた会談の過程で、日本側は「米軍政が没収した日本人私有財産を韓国政府が無償で引き継いだのは国際法違反であり、日本はこの財産を取り戻す権利がある」と主張した。日本のこうした「請求権」の主張を退け、さらに5億ドル(約702億円)を手にしたというのは大変なことだった。35年間の植民支配の苦痛をはした金で売ったと中傷するのは、歴史の具体性を忘却し、抽象的理念に陥っているからではないか。もしや、こう考えたら親日派なのか。

 本物の親日派は別にいる。日光という単語を見て日本だと思う一部の人々のことだ。日光、すなわち日の光は、人類が共同で享有する自然物だ。この言葉を日本だけが使うべきだと、韓国はこうした言葉を使ってはならないと声を強める人々こそ、日本に日の光を献納する本物の親日派ではないのか。12年ぶりに再開された韓日首脳会談シャトル外交について「屈辱」「売国」うんぬんと言う一部の人々こそ、今の時代をまだ日帝強占期だと思っている真の親日派ではないのか。

李漢洙(イ・ハンス)文化部長

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