▲線路に転落した日本人を救おうとして命を失った義人「故・李秀賢氏」の24周忌を迎え、1月26日、東京都新大久保駅で行われた追悼式。李さんの母、辛潤賛(シン・ユンチャン)さんと献花している。/聯合ニュース
今年の旧正月連休を利用して130万人以上が海外に出国した中、日本の東京を訪問してきた。日曜日だった1月26日、日本の友人宅でNHKのニュースを見ていたところ、新大久保駅での事故から24周忌を迎えたというニュースが耳に入ってきた。「2001年に韓国人留学生の李秀賢(イ・スヒョン)さんと日本人男性の関根史郎さんが、ホームから線路に転落した男性を助けようとして起こった死亡事故から24年がたちました。李..
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▲線路に転落した日本人を救おうとして命を失った義人「故・李秀賢氏」の24周忌を迎え、1月26日、東京都新大久保駅で行われた追悼式。李さんの母、辛潤賛(シン・ユンチャン)さんと献花している。/聯合ニュース
今年の旧正月連休を利用して130万人以上が海外に出国した中、日本の東京を訪問してきた。日曜日だった1月26日、日本の友人宅でNHKのニュースを見ていたところ、新大久保駅での事故から24周忌を迎えたというニュースが耳に入ってきた。「2001年に韓国人留学生の李秀賢(イ・スヒョン)さんと日本人男性の関根史郎さんが、ホームから線路に転落した男性を助けようとして起こった死亡事故から24年がたちました。李さんの母など関係者が現場を訪れ、黙とうをささげました」
日本が毎年1月26日に、故・李秀賢さんを追悼する理由が気になった。韓国人を眺める日本人の視線がまるでコペルニクス的転回のようにがらりと変わるきっかけとなったため、と友人は説明する。「日本人は他人の重いかばんを代わりに持ってあげることさえ容易にできない個人主義がまん延している国だが、李秀賢さんは自分の命を懸けて見ず知らずの他人の命を救おうとした驚くべき行動に出たのだ。それまでほとんどの日本人にとって韓国は貧しく、あまり関わりたくない親戚のような存在だったが、そんな先入観がこの事件をきっかけに次第に薄れていったのだと思う」
「真心が先入観の消しゴムとして機能する」という韓日関係の経験則は、両方向に成立する。「悪」と思っていた日本という国が、純粋な好奇心の対象に変わる瞬間は誰にでもあるだろう。私の場合、25年前に直面した日本人の涙がそうだった。テレビのチャンネルをしきりに回していた2000年8月のある日、トップスターのオーラがみなぎる日本人男性が、たどたどしい韓国語であいさつするのを目にした。「私たちはアジアのいろんな国で歌ってきましたが、韓国では歌えませんでした。過去の歴史を共に悲しみながら、私たちは私たちの新しい時代を共につくっていきましょう」。続けて「オン・ユア・マーク(On your mark)」が演奏されたが、彼は涙声で1番をほとんど歌えなかった。その瞬間、これまで日の丸という国旗を通して見てきたこの人たちが気になり始めた。
同日涙した男性が日本の2人組バンド「CHAGE and ASKA」のASKAであり、CHAGE and ASKAは「SAY YES」などのヒット曲を皮切りに1980-90年代の日本の歌謡界で絶大な人気を誇ったグループだ。同公演が金大中(キム・デジュン)政権の日本文化開放政策に伴う日本人歌手による初の大型来韓コンサートであり、彼らにとってはまるで賭博のような冒険だったという事実を後で知った。CHAGE and ASKAは活動を6カ月ほどストップさせ、コンサートの準備だけに没頭した。チャーター機に乗って付いてきた日本人のファンがコンサート会場をほとんど埋めたにもかかわらず、コンサートは韓国語で進められ、コンサートの収益金は韓国女性財団に全額寄付されたという事実も後で知った。にもかかわらず、韓国での反応はいま一歩で、日本でも何というありさまかと非難される中、人気は下火となり、所属事務所も倒産。バンドまでが解散してしまったという事実も、やはり後で知った。
24年前の同日、李秀賢さんが線路に飛び込んだものの、「韓日友好増進のために犠牲になる」という決心をしていたわけではなかっただろう。ただ目の前で人が転落し、彼のために勇気を出したのだ。CHAGE and ASKAの来韓公演の際も、イ・ヒホ女史をはじめとする要人らによる説得があったとは言うが、「音楽だけは歴史のしがらみを乗り越えるものであってほしい」という彼らの意志が最も大きかったに違いない。こうした真心がかみ合って、みすぼらしい新大久保の裏通りが青春の街へと変貌を遂げ、日本ドラマとKが当たり前であるかのように消費される新しい時代が幕を明けた。
「僕らがそれでもやめないのは/夢の斜面見上げて/行けそうな気がするから」。ASKAが25年前に涙をかみしめながら歌った「オン・ユア・マーク」の歌詞の一部だ。未来志向的な韓日関係は夢の斜面であって、われわれは反日竹やり歌(東学農民革命を記念する歌)や嫌韓ヘイトスピーチに屈せずに、何とかここまで上がってきた。日本の植民地支配からの解放80周年と、韓日国交正常化60周年を迎える今年、さらに力強く上ってみようではないか。政治が力強い原動力となってくれることを願ってやまない。
ヤン・ジヘ記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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