▲写真=UTOIMAGE
「輝いていた青春のBGM」。1980年7月にリリースされた日本の歌手・松田聖子(63)の代表曲『青い珊瑚礁』によく使われる修飾語だ。デビュー曲『裸足の季節』からわずか3カ月、この曲は新人だった松田を一躍トップクラスのスターへと押し上げた。その後松田は「女性ソロシンガー初の24曲連続オリコンチャート1位」という大記録を打ち立て、日本の大衆文化のシンボルとなった。最近、書面インタビューで松田は「『青..
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▲写真=UTOIMAGE
「輝いていた青春のBGM」。1980年7月にリリースされた日本の歌手・松田聖子(63)の代表曲『青い珊瑚礁』によく使われる修飾語だ。デビュー曲『裸足の季節』からわずか3カ月、この曲は新人だった松田を一躍トップクラスのスターへと押し上げた。その後松田は「女性ソロシンガー初の24曲連続オリコンチャート1位」という大記録を打ち立て、日本の大衆文化のシンボルとなった。最近、書面インタビューで松田は「『青い珊瑚礁』は私の原点」として「この曲がなければ私の歩みも、見える景色も異なっていたと思います」と述べた。
【写真】初の韓国公演を行う松田聖子さん
松田は今月22日に仁川インスパイアアリーナで、初の来韓公演を行う。昨年から日本で続けていた45周年記念ツアーの中で唯一の海外公演であり、ツアーのファイナルでもある。自身の45年について「長い時間だったけれど、振り返ってみればあっという間」と表現した松田は、『青い珊瑚礁』を歌うたびにデビュー当時の純粋な気持ちがよみがえる」と明かした。さらに「韓国の大合唱(コンサートで観客が一体となって歌うこと)文化は本当に素敵」として、『青い珊瑚礁』と『赤いスイートピー』を韓国のファンと一体となって歌いたいと述べた。
日本で「永遠のアイドル」と呼ばれる松田だが、その人気は依然として根強い。今回の来韓も、公演会場が仁川空港にほど近いことから、日本のファンが多数押し掛けるようだ。およそ1万5000席の半数が外国人によるチケット購入だった。昨年12月に放送された日本最大の年末番組『NHK紅白歌合戦』では、松田の『青い珊瑚礁』のステージが歌手別視聴率1位を獲得した。松田は紅白歌合戦に通算25回出場している。
松田の代表曲は「日本のバブル全盛期だった1980年代の香り」の象徴ともいえる。松田は「当時の活気が反映された明るい雰囲気と、スピード感のあるリズムのおかげ」と分析した。「『青い珊瑚礁』が今でも愛されるのは、軽快なメロディーと、情景が浮かぶ歌詞のおかげで、曲に自分の追憶を重ね合わせられるから」だとして「あの時代の音楽の魅力は、演奏と編曲の質感にある。音にぬくもりがあるんです」とも述べた。
韓国では2024年にガールズグループNewJeansのハニが、東京ドーム公演で『青い珊瑚礁』をカバーし、若い世代からも新たに注目を集めた。ハニは、いわゆる「聖子ちゃんカット」で有名なボブヘアや、マリンルック(ボーダー柄など水兵や船員の服装を取り入れたファッションスタイル)など、1980年代の松田のステージを鮮やかに再現した。松田は「ニュースで映像を見ました。スタイルまで詳細に表現してくれて本当にうれしい」「歌は聞く人が変わるたびに新しい表情を帯びると思う」と思いを明かした。さらに「K-POPはエネルギッシュで洗練されている」「機会があれば、世代と国境を越えて一緒に音楽を作ってみたい」と述べた。
松田の登場は、1980年代の日本において女性ソロシンガーの全盛期到来を告げるシグナルでもあった。アイドル界の「太陽」と呼ばれた松田聖子と「月」と呼ばれた中森明菜のライバル関係が、日本歌謡界の黄金期をリードし、韓国の歌謡界にも影響を与えた。松田は「当時の歌手たちはそれぞれが輝く個性を持っていたため、ライバルというより同じ時代を走る同士のように感じられました」として「ステージに立つたびに、常に最初の音と最初の一歩を意識し、そこに集中すれば会場の空気が動くような感じがしました」と説明した。さらに、最近の歌謡界で羨ましい点について「世界への入り口が増えたこと」を挙げながらも「以前は情報が少なかったので、想像によってワクワクする気持ちを膨らませていたし、そういう点がロマンチックでした」と述べた。
松田の一挙手一投足は、当時の漫画や映画などさまざまな大衆コンテンツのヒロインのモデルとなり、それと同時に羨望と嫉妬も呼び覚ました。松田は「自分でも、ある漫画に登場する『聖子ちゃんカット』のヒロインの雰囲気が自分に似ていると感じたことがあります。明るく前向きな部分が表現されていたときが良かった」「意図と違う形で誇張されることもあり、負担を感じましたが、そのたびに覚悟を決めて自然に気持ちを立て直しました」と説明した。
全盛期の人気は、殺人的なスケジュールへとつながった。ギリギリの放送スケジュールに合わせて、羽田空港で飛行機から降りた直後に滑走路で『青い珊瑚礁』を歌った1980年のTBS『ザ・ベストテン』羽田空港ライブが代表的な例だ。松田は当時のことを「目先の仕事だけに集中し、忙しい中で自分の時間を持つのは難しい時期でしたが、ステージに立てば不思議にも気持ちの切り替えができ、背筋が伸びました」と当時の状況を振り返った。さらに「生きているといろいろなことがあったけれど、私は音楽に支えられてきたと感じています」「私にとって音楽は、人生を支える軸」と表現した。松田が「規則的な食事と十分な睡眠、絶対に体を冷やさないこと」という原則で徹底的な体調管理に努めているのも、そうした理由からだ。
そのため「45年前に戻っても、やっぱり音楽の道を選ぶと思う」と明かした。「あの頃の若い自分に『45年間、音楽を続けていくことになる』と教えてあげたらとっても驚くでしょうね。そして、ちょっとはにかみながらも、幸せな気持ちになると思います」
ユン・スジョン記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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