サムライは剣道、柔道・合気道の祖(上)

 「イタリア中部のリボルノ市にある空輸部隊では、77歳の日本人女性がさまざまな武術を教えている。1931年に大阪で生まれたこの女性は、“偉大なサムライ、ウエシダ・キソマルの門下生”と話している。」(聯合ニュース6月25日報道)

 日本の武道家人名録やインターネットサイトには、「ウエシダ・キソマル」という人物はいない。ただ、植芝吉祥丸(うえしば・きっしょうまる)=1921‐99=といえば合気道の二代目継承者で、日本の武道界で有名な人物だ。この記事を報じたイタリア日刊紙のサイトを見ると、案の定「女性はウエシバ・キッショウマル(Ueshiba Kisshomaru)から合気道を習った」と書いてあった。

◆将軍の剣術師範、「柳生流」と「一刀流」 

 17世紀に日本を統治した徳川将軍家の剣術師範には、二つの流派があった。柳生流と一刀流だ。柳生流は竹刀を使い、一刀流は木刀で「実践剣気」を教えた。歴代の将軍たちは柳生流を、将軍お付きの武士は一刀流を好んだ。

 柳生流の創始者・柳生宗厳は相手を切らずに制圧する「無刀取り」の境地を会得した。柳生宗厳は「剣術指南役になってほしい」と徳川家康に請われたが、高齢を理由に固辞し、その代わり五男の宗矩を推挙した。宗矩は「大坂の役」(1615年)で敵兵数十人が本陣を急襲した際、家康の息子で徳川第2代将軍・秀忠の前に立ち、一瞬にして敵7人を切り、名をはせた。

 一刀流は現代剣道に多大な影響を及ぼした。一刀流の始祖である伊藤一刀斎は真剣勝負33回で57人を切り、木刀勝負では67人を制圧した。伊藤一刀斎が使った日本刀は「かめ」に隠れた賊を切ったといわれる名刀「瓶割刀(かめわりとう)」だ。一刀流の正統な継承者だけがこの名刀を受け継ぐことができるとされている。

 19世紀半ばには、718もの剣術流派があった。だが明治維新以降、剣術は剣道と名を変える。当時、警察関係者らが各流派の名手25人を招き、その術を十の剣道形(かた)にまとめたのが現代剣道の始まりだ。

チョ・ミヌク記者
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