サムライは剣道、柔道・合気道の祖(下)

◆一度に50人と戦い、7人斬ることも   

 サムライはよろいを身に着け、戦いの途中で刀ややりが折れたら、素手で相手の関節を曲げたり、相手を投げたりした。こうした武術を「柔術」または「柔(やわら)」という。

 日本各地には19世紀まで、柔術流派が179あった。中でも最も強く神秘的な流派が「大東流合気柔術」だ。日本で最強の武力を誇った会津藩の上級武士にだけ極秘で伝えられたというが、武田惣角(たけだ・そうかく)=1859‐1943により一般に広められた。

 武田惣角は150センチといわれる小柄な体格で近代日本の武術界をリードした。武田惣角は手足や体の一部に触れられると、相手がいくら巨体だったとしても一瞬のうちに関節を押さえ、へし折ってしまったという。剣の達人でもあった武田は、あるとき50人以上の敵と真剣勝負をし、7人を斬(き)ったこともあるそうだ。

 武田惣角の弟子として最も有名なのが植芝盛平(1883‐1969)だ。植芝盛平は大東流合気柔術を誰もが安全で易しく身に着けられるよう、「合気道」という新しい流派を作る。大東流合気柔術では相手の骨を完全に砕いたり、間接を外したりするが、合気道は無駄な力を使わず効率よく相手を制する。ちなみにイタリアの日刊紙に登場した「植芝吉祥丸」は盛平の三男だ。

◆サムライの「素手の武術」が柔道に発展 

 柔術は近代以降、柔道になった。「柔道の父」と呼ばれる嘉納治五郎(1860‐1938)は講道館を創設し柔術の各流派を束ねた後、その術を統合し柔道を作った。東京高等師範学校(現・筑波大学)校長などを歴任した彼は1909年に国際オリンピック委員会(IOC)委員になり、柔道をスポーツとして世界に知らしめた。嘉納は白い道衣と段級位制を取り入れた。

 講道館には四天王と呼ばれる4人の傑出した柔道家がいたが、中でも西郷四郎(1866‐1922)は柔道史上最強の人物だ。西郷の必殺技は、相手の中心を崩してから自分の足で相手の足を払い上げ1回転させ畳に投げつける技で、「山嵐」と呼ばれている。

 嘉納治五郎のもう一人の弟子、前田光世(1878‐1941)は柔術をブラジルに伝え、そこからブラジリアン柔術(グレイシー柔術)という異種格闘技が生まれた。「2000戦1998勝2敗」…前田光世は生前、ヨーロッパやアメリカを渡り歩き2000回以上の試合に臨み、負けたのはたった2回だけという異種格闘技の神話を作ったとされている。

チョ・ミヌク記者
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