その後も現地で脱北者の手引きを続けたが、2016年にラオスの中国大使館から連絡があり、刑を軽くするので中国に戻り自首するよう指示してきたという。塗さんは「中国とラオス政府は親密な関係にあるので、私を中国に引き渡す恐れもあった」と語る。塗さんは1カ月後に済州島に行き、韓国政府に難民申請を行った。
しかし韓国法務部は最初は申請を拒否した。ラオス国籍を持っているため、中国政府から弾圧を受ける可能性は低いと判断されたからだ。また脱北ブローカーとして金を受け取っていたことも、塗さんの亡命動機を疑わせる要因になった。
塗さんは韓国法務部の職員から「金のために脱北者を支援したのだろう」などと問い詰められることもあり、その時は非常につらかったという。
法務部が難民申請を認めなかったため、塗さんは昨年4月に裁判所に訴えを起こした。同年12月に済州地裁は「塗氏は中国に戻れば懲役刑を受けるという恐怖を感じたはずだ」として塗さんの訴えを認め、今年5月に行われた2審でも同じ判断が下された。一連の判決を受け、法務部は塗さんを難民として認めることにした。その結果、選挙権はないものの、それ以外では韓国人と同じ法的地位を塗さんは手にした。塗さんの弁護を引き受けた弁護士法人の関係者は「脱北を支援した見返りに現金を受け取った。だから難民として認められないという法務部の主張は裁判所によって完全に否定された」とコメントした。
塗さんの妻と4人の子供もすでに韓国にやって来て難民申請を行っている。塗さんと家族は中国語しか話せないので、たまに建設現場などで働くことくらいしか仕事はできないという。今後の計画について塗さんは「家族を養えるような仕事を探したい」と語った。