4年前のいじめ疑惑に打ち勝ったキム・ボルム「応援してもらえてスケートが楽しい」

 「もともと試合の時はストレスをためる方です。ですが、今回の五輪で楽しむことができるようになりました」

 キム・ボルム(29)=江原道庁=は先月19日、北京冬季五輪スピードスケート女子マススタートで5位になり、21日に帰国した。25日からは全国冬季体育大会(日本の国民体育大会冬季大会に相当)に出場し、3000メートル、1500メートル、チームパシュート(団体追い抜き)の3冠に輝いた。スケジュールがタイトで疲れもあったはずだが、28日に会ったキム・ボルムの表情は明るかった。「自己最高記録には少し及びませんでしたが、全国冬季体育大会は平昌冬季五輪以降で一番速かったです。最近、スケートがとても面白くなってきたように感じます」「きっと、たくさん応援していただけて良い姿をお見せしたいと思えるようになったからでしょう」と笑った。

 キム・ボルムは4年前の平昌冬季五輪で涙を流した。チームパシュートで先輩選手・盧善英(ノ・ソンヨン、32)=引退=を仲間はずれにして置いてけぼりにしたと非難された。キム・ボルムの選手資格をはく奪しろという青瓦台(大統領府)国民請願が六日間で60万人に達した。集団心理を追い風に、各界の人物らも厳しい発言をした。政府が「『いじめ滑走』はなかった」という調査結果を発表したのにもかかわらず、烙印(らくいん)が消えることはなかった。精神的ショックにより病院で治療も受けた。「どれほどのつらさだったかを表現する言葉も思いつきません。私の言葉を聞いてくれる人は誰もいませんでした」。人に会うのがつらくなり、口数も減った。「1人の人間が背負うにはあまりにも大きな苦痛でした」「このようなことが繰り返されてはなりません」と話す。家族や友人たちに励まされて、かろうじて踏ん張った。2020年に損害賠償請求訴訟を起こし、一審が先日、盧善英がキム・ボルムに慰謝料300万ウォン(約29万円)を支払うよう命じた。キム・ボルムは「真実はいつか明らかになると信じて裁判所に行きました。一審以降、多くの人が事実を知ることになって良かったです」と話した。「私があきらめなかったのを見て、『勇気をもらった』と言ってもらえたこともあって、力がわきました。『誰かが私のことを見てくれているんだ』と思いました」。キム・ボルムは「ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を通じてかつて私のことを非難したことを謝罪する人も多いです」と言った。「『申し訳なかった』と言ってくださる方々に感謝しています。少しずつ傷が癒える気がします」。

 キム・ボルムは五輪に3回出場した。初の五輪出場だった2014年ソチ大会は「良い選手に成長する足がかり」だった。2018年平昌大会は「とても良かったが、つらかった時間」だった。マススタートで初の五輪メダルを手にしたが、チームパシュートで騒動の中心に立たされた。2022年の北京大会は「とても幸せだった」という。傷を乗り越えて再び立ち上がり、思ってもいなかった応援もたくさんもらえた。だが、残念なこともある。試合終盤にトップ圏に浮上したが、相手選手と接触して最後までスパートできず、メダルはとれなかった。「少しミスがありました。100点満点で75点」と言った。

 キム・ボルムは全国冬季体育大会を最後に今シーズンを終えた。4年後の五輪挑戦については「平昌後、スケートをやめようと思いましたが、北京に行きました。4年間で何があるか分かりません」と含みを残した。「まず1年、1年頑張りたいです。それすれば、次の五輪もすぐに近づいてくるでしょう」。

ソン・ウォンヒョン記者

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  • ▲キム・ボルム 写真=コ・ウンホ記者

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