「『土着倭寇』という烙印は『アカ』よりも暴力的だ」

『植民国家と対称国家』を出版した尹海東・漢陽大学教授

■「われわればかりが過酷な試練」は韓国例外主義…歴史的事実と異なる

-それでも、植民地の経験は韓国人に依然としてトラウマとして残っている。

 「西欧と日本くらいを除いて、アジア、アフリカ、中南米などほとんど全ての国が植民地に転落した。今、われわれは指標の上では完璧に先進国だ。2021年、国連貿易開発会議(UNCTAD)が韓国の地位を先進国グループに変更すると公式発表したではないか。韓国は国内総生産(GDP)規模で世界10位、製造業で5位、国防力で6位だ。世界に7カ国しかない『30-50グループ(1人当たりの国民所得3万ドル〈現在のレートで約410万円〉、人口5000万以上)』入りを果たしてから数年たった。世界は既に韓国を先進国として扱っているのに、韓国人だけがそれを認めないというのもナンセンスだ」

-韓国は20世紀に入って植民と分断、戦争という類例のない過酷な試練に直面した、という認識が強い。

 「韓国だけが植民地になったわけでもなく、韓国よりも過酷な戦争と虐殺に直面した国は多い。韓国だけが類例のない犠牲と苦難の民族史を持つという『韓国例外主義』は歴史的事実と符合しない。こうした例外主義は、犠牲と苦難を強調しているという点で大部分の民族主義に共通している。だが外部の視点で見れば、共感しにくい場合が多い。先進国待遇を受けている国の政権勢力が『竹やり歌』を歌っていたら、どう見えるだろうか」

■北の主体史観は三・一運動、大韓民国臨時政府に関心なし

-文在寅政権は2019年を「大韓民国100年」として打ち出し、南北が共に記念事業を展開すると言った。そうして、1948年の大韓民国政府樹立と李承晩(イ・スンマン)は無視した。

 「北は金日成(キム・イルソン)が生まれた1912年を『主体元年』にしたが、こういう神政論的歴史解釈は、南側の三・一運動や臨時政府建国論に神経を使う理由がない。結局、三・一運動100周年南北共同事業は『なかったこと』になったではないか。1919年建国論は、李承晩と1948年建国論に対してあまりにも党派的に向き合った。『進歩』学界には、臨政(臨時政府)法統論を認めず文在寅政権の1919年建国論に便乗したという誤りがある」

-解放直後の左右対立と分断のせいで、大韓民国は出発から間違っていた国だと考え、学校でもそのように教える教師が多い。

 「国民国家樹立の失敗を、韓国史の近代移行において現れた最も重要な特徴として記す書籍が多い。分断を理由にして、大韓民国を何かが抜けた『欠損国家』と見なしてもいる。現代史教育をどうすべきかは答えがない。1980年代の偏向した歴史観にかぶれた586世代(60年代に生まれて80年代に大学へ通った現在の50代)が退き、新たな世代が登場するのを待つしかないのではないだろうか」

金基哲(キム・ギチョル)学術専門記者

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  • ▲尹海東教授は韓国史学界の異端的存在だ。植民地期の研究者である尹教授は、親日/反日式の二分法と民族主義の過剰を批判することにより、左右両派にとって不都合な存在になった。/写真=キム・ジホ記者

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