なぜ200億ウォンも投じて「大韓帝国迎賓館」をまた建てるのか【コラム】

外部勢力に依存していた高宗が建てた豪華な西洋式建造物「惇徳殿」
100年ぶりにわざわざ新たに作って「自主外交」と美化するのか

 米英2列強の公館の間で、絶妙な位置に建てられた惇徳殿は、大韓帝国が外部勢力に依存して延命を図った屈辱的な歴史の象徴も同然-と評価できる。建物は長くは持たなかった。1910年に国が滅び、1919年に高宗が死去した後、もはや使うことがなくなった惇徳殿は放置された。1920年代に取り壊され、その跡地には子ども向けの遊園地ができた。

 消えた惇徳殿を再建したのは、2018年に本格化した「徳寿宮の元の姿取り戻し」によるものだ。発掘調査を終えた後、惇徳殿の復元が始まり、最近外部の工事を終えた。今年5月に扁額(へんがく)を掛ける「懸板式」を行い、9月の開館を予定している。ところが文化財庁は「復元」ではなく「再建」だと言葉を変えた。「資料不足のせいで原形通りに建てることができず、写真などを参考にして新たに作った」。つまり、建物の多くの部分を想像力で補ったということだ。

 こうまでして、文化財的な価値も疑わしい惇徳殿を再び建てる理由は何か。塀の外の案内板には「自主外交を通した主権回復の場」だったと書いてある。さらにひどいことに、文化財庁は「近代化に向けた大韓帝国の、果たし得なかった夢に再び光を当てたい」と述べた。だが、こんな「精神勝利」が、本当に韓国人の歴史から得る教訓なのだろうか。再建された惇徳殿を訪れる人々は、その「自主外交」というものが、惇徳殿の落成からわずか2年で息絶えるしかなかった見掛けだけの看板だったことを理解した方がよいのではないか?

 惇徳殿の再建の投じられた費用はおよそ200億ウォン(現在のレートで約20億4000万円)。果たして、そのお金を使って次の世代に何を教えようというのか。権威や名分、華麗な儀典、言葉でのみ「自主」を叫ぶことなんぞで、国を守ることはできない。そういう冷酷な現実を悟ることが先ではなかろうか。

兪碩在(ユ・ソクチェ)記者

【写真】取り壊される前の「惇徳殿」のかつての写真

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