朴正煕政権の核兵器開発を中止させたキッシンジャー氏、金大中拉致事件では米大使館に「亡命要請あれば受け入れ」指示も

キッシンジャー氏の外交政策は韓国にも影響

 先月29日(現地時間)に死去した米国のキッシンジャー元国務長官の外交政策は韓国にも大きな影響を及ぼしていた。キッシンジャー氏は1969-77年の国務長官在任中に当時韓国の朴正煕(パク・チョンヒ)政権が進めた核兵器開発を中断させた。また当時野党の政治家だった故・金大中(キム・デジュン)元大統領が米国亡命を要請した場合、これを受け入れるよう駐韓米国大使館に指示していた。

【写真】韓米シンクタンク「米国は戦術核100基を現代化して『韓国支援用』に指定せよ」

 キッシンジャー氏はハーバード大学の大学院生だった1951年6月、6・25戦争(50年6月25日-53年7月27日)の休戦交渉が始まった当時の韓国を訪問したことが韓国との最初の因縁だったという。2010年に峨山政策研究院で行った講演で自ら明かしている。韓国を初めて訪問した際、米陸軍の依頼で米軍が韓国人に及ぼす影響に関する報告書を作成するため議政府、大邱、釜山を訪れたという。

 1974年11月に当時のフォード大統領がソウルを訪問した際、キッシンジャー氏は国務長官として同行し、韓国の朴正煕大統領との首脳会談に同席した。その後公開された外交文書によると、朴大統領は米国に北朝鮮のトンネル問題について説明し「トンネルを探し出すため油田を採掘する機械も使っている」と伝えると、キッシンジャー氏は「原油を掘り当てるかもしれない」とユーモアで返した。

 しかし翌年には韓国政府に核兵器開発の中止を要求した。韓国による核開発が北朝鮮や日本など周辺国に影響を及ぼし、ソ連と中国は北朝鮮に核兵器支援を保障しかねないと考えたからだ。キッシンジャー氏はカナダ、フランス、日本、国際原子力機関(IAEA)本部のあるオーストリアなどの大使館に韓国による核兵器開発阻止に向けた指針を下し、最終的に核開発は取りやめとなった。

 1973年8月に東京で当時野党政治家だった金大中元大統領拉致事件が起こった際、米国は韓国に金大中氏の安全を保障するよう要求したが、これにもキッシンジャー氏がさまざまな形で影響力を行使したとの見方もある。ただこれには明確な証拠はない。

 大国中心の思考方式を持っていたキッシンジャー氏は韓半島問題もその観点から対応した。キッシンジャー氏は1975年に国連で中国とソ連が韓国を承認し、米国と日本も北朝鮮を承認するいわゆる「交差承認」を提案した。キッシンジャー氏は2017年8月にウォールストリート・ジャーナルへの寄稿で「韓半島非核化には米中合意が必須条件」と指摘し、米国と中国が北朝鮮政権の崩壊と在韓米軍撤収を交換するビッグディール(大きな取引)を主張していた。

ワシントン=金真明(キム・ジンミョン)特派員

<記事、写真、画像の無断転載を禁じます。 Copyright (c) Chosunonline.com>
関連フォト
1 / 1

left

  • ▲写真=NEWSIS

right

あわせて読みたい