「韓国に行きたい」 ウクライナで捕虜になった北朝鮮兵に本紙特派員がインタビュー(前編)【独自】

【1】26歳の狙撃手、リ兵士
「北朝鮮で捕虜は思想転換者も同然」

 リ兵士の部屋には小さな中国製テレビが置かれており、音楽が流れていた。インタビューを始めようとすると、リ兵士はリモコンを手にしてテレビの音を小さくした。リ兵士は話の途中で何度も「記者だとおっしゃいましたよね?」と言って気になることを記者に尋ねていた。リ兵士は、北朝鮮の特権層が集まって居住する平壌の出身でありながらも、困難な環境で育ち、非常に苦労したと話した。その上で「ついに戦場まで来て、何度も死の淵を乗り越えた」と言って涙をこらえた。

-ご両親は二人とも平壌におられるんですか。

 「(うなずく)」

-ご兄弟もいらっしゃるんですよね。

 「私一人です」

-ご両親はあなたがここに来ていることをご存じないんですよね。

 「はい、知りません。あちらを出発する3カ月前から、家とは一切連絡を取ることができませんでした」

-ロシアにはいつ出発したんですか。

 「私たちが出発したのは10月10日。もともとは慈江道の(洪水)被害の復旧支援に動員されていたんですが、1カ月で撤収になり…。訓練場に行って訓練を受け、10月初めに出発してロシアに到着しました。

-では、クルスクにはいつ到着したんですか。

 「12月中旬だと思います。(ロシアの)ウラジオストクで訓練を受け、移送されてここに来ました」

-ご両親に伝えたい言葉はありますか。

 「実は母と父は病気なんです。重い病気です。父は体が不自由で、母は消化すらまともにできません。恐らく私が捕らえられたこと、私が捕虜になったことが我が国(北朝鮮)の政府に知られたら、父と母は平壌にはいられないでしょう」

(しかしウクライナ政府は先月、既にリ兵士の姿を撮影して映像で公開した。そのため(北朝鮮側は)捕虜2人の身元を確認したと推定される。北朝鮮の実情を伝えるために、本紙もリ兵士の発言をそのまま掲載する)

-本来の所属部隊はどちらですか。

 「偵察総局」

-士兵として服務していたのですか。

 「はい、除隊する年齢です。2015年に入隊しました」

-偵察・狙撃兵などとして服務したと聞きましたが。

 「はい」

-どんなふうに言われてロシアに来たのですか。

 「留学生として訓練すると。戦闘に参加するとは思ってもいませんでした」

-戦闘に参加することを初めて知ったのはいつでしたか。

「クルスク地域に到着してから、待機区域という場所にいたんですが、そこで知らされました」

-クルスクまではどうやって来たのですか。

 「汽車に乗って、飛行機にも乗って、バスにも乗って」

-一緒に来たのは何人でしたか?

 「2500人ぐらいです」

-北朝鮮は今、私たちの同胞の若者たちがここに来て戦っているという事実を認めていないんですが。

 「秘密でしょうね」

-そう考えるのはなぜですか。

 「対外的な条件(対外関係における立場)が損なわれる可能性とか、そういう点で」

-ロシア軍とは問題はありませんでしたか。

 「私たちは、下っ端は特に話をすることもなく、上層部が全て組織して。弾薬の問題とか衣服や物資、そういうものは全て上層部の方で取り決めて、全て供給されるようにしていて、士兵たちとロシア(の軍人)は特に言葉を交わしませんでした」

-コミュニケーションはどのようにしていたんですか。

 「スマートフォンの翻訳機を使っていました」

-平壌にいたときはスマートフォンを使っていましたか。

 「スマートフォンの翻訳機能はここに来て初めて使いました。それまでは外国人と会うことがなかったので」

-派兵された部隊(暴風軍団)は忠誠心の高い部隊ですか。

 「戦闘力が高いので。工事や戦闘の任務遂行などで先頭に立って…。三池淵の建設はご存じですか?」

【写真】本紙特派員のインタビューを受ける北朝鮮兵捕虜・リ兵士

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  • ▲グラフィック=ヤン・ジンギョン
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