「韓国に行きたい」 ウクライナで捕虜になった北朝鮮兵に本紙特派員がインタビュー(前編)【独自】

【1】26歳の狙撃手、リ兵士
「北朝鮮で捕虜は思想転換者も同然」

-それは何ですか。

 「三池淵市(金正恩〈キム・ジョンウン〉総書記が戦略的に再開発した観光都市)を建設する工事です。(私たちの部隊が)12月に出発して工事に当たっていたんですが、雪と寒さがひどかったです。2019年度のことでした。行ってみると、人家が1軒もない山の中で、その山に胸まで雪に埋もれながら入っていったんです。そこで兵舎を建設しなければならなかったんですが、つるはしで一日中掘っても、このぐらいの小さな石ころ一つ、土の中から石ころ一つ掘り出すと、手が(凍り付く様子を示すジェスチャー)。過酷な気候だったんですよ。あまりにも寒くて、小便をするとその場で凍って落ちるほどでした」

-クルスクと比べてどちらが寒いですか。

 「あっちの方がずっと寒いです。ここは何てことありません」

-ここで過ごしていて、食事はどうですか。

 「まだ顎が十分に治っていないので硬い食べ物は食べられません。お粥みたいなもの…もしくはラーメンを食べたいんですが、ラーメンは食べられません」

-顎と腕はどうして負傷したんですか。

 「1月5日から戦闘に参加しました。まず、先陣を切った単位(部隊)が全て犠牲になりました。無人機(ドローン)と砲撃にやられて大勢が犠牲になりました。ロシア側が(防御のための)砲撃をあまりしてくれなかったので、私たちがたくさんの無謀な犠牲を強いられました。砲撃したとしても(ウクライナ軍の)後方ばかり狙って撃っていたので、私たちが無謀な犠牲を払いました。

-その日は何人が出撃したのですか。

 「後方攻撃班として3人が…。防風林の始まりと端の地点で、残りの中隊が攻撃を開始するんです。私たちはその間に飛び込んで、その間から後方をかく乱しながら攻撃を始めなければならないんです。ところが、そこに入ったら敵が待ち伏せしていて…。見つからないように動くこともできたかもしれませんが、無人機のせいで見つかってしまったんです」

-訓練の時はドローンについて詳しく教えてもらわなかったのですか?

 「教えてもらいました。ドローンに関する戦闘形式とか、そういうことを別途教わったわけではありません。私たちが訓練する時は『速いヤツだけが生き残る』といった形で訓練をしていたので。(ドローンが)現れたら走るか隠れ場所に隠れるか、地面に伏せて銃で撃つなど、そういった訓練をしただけで、無人機を直接撃ち落とす訓練はしませんでした」

-それでは、犠牲を払いながら少しずつドローンについて理解していったんですね。

 「はい」

-ドローンに見つかった後はどうなりましたか。

 「私たちの班は3人だったんですが、班長と私の下の兵士は既に銃で撃たれて倒れた状態で、私一人だけが無事だったんです。そのため私も必死で地面に伏せて銃を撃ちながら、隠れやすそうな場所に隠れようと移動している途中で銃弾を浴びたんです」

-どこに当たったんですか。

 「銃弾が腕に当たって骨を砕いて貫通し、顎にも当たりました。顎が全部粉々になったんです。その後、意識がなくなって…。とにかく大量に血が流れたので意識を失って倒れたんです。目を開けたら夜だったんですよ。撃たれたのは明け方だったのに。それから起き上がろうとしたら、頭をつかまれて回されるような感じがして、貧血でめまいが…。そこにしばらく座っていたんですが、来た道を戻ろうと思って進んでいる時に、我が(北朝鮮の)軍人たちに会ったんです。ところが私の中隊ではなく、私が属する大隊の別の中隊だったんですよ。その人たちがこのように(顎と腕を)包帯で全部巻いてくれたんです」

-そんな風に応急手当をしてくれたのなら、なぜその部隊についていかなかったのですか」

 「そうしようとしたんですが…。『魔鬼無人機』ってご存じですか?」

(後編に続く)

キーウ(ウクライナ)=鄭喆煥(チョン・チョルファン)パリ特派員

【写真】本紙特派員のインタビューを受ける北朝鮮兵捕虜・リ兵士

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