孫も遠洋漁船に乗せる「マグロ王」金在哲【萬物相】

 1957年6月、最初の遠洋漁船「指南(シナム)号」が釜山港を出港した。「南洋に船を運航させ、富をすくい上げよ」という願いを込め、李承晩(イ・スンマン)大統領が命名した。もともと米国製の中古試作調査船だった。台湾やフィリピン、シンガポールの海域でマグロの操業を試みたものの、まるで成果が上がらなかった。同乗した米国人技術顧問が腰を痛めたため台湾で下船。残された船員たちは海外の書籍を頼りに釣り糸を垂らさなければならなかった。シンガポールの韓国人貿易商に金を借りて軽油を満タンにしインド洋まで出向いたことで、初めて操業に成功した。

【写真】江陵沖で獲れた160キロの超大型マグロ

 指南号が出港から108日で10トンのマグロを載せて釜山港に帰還した。李承晩大統領がマグロ(実際はカジキ)を飛行機で空輸し、警務隊の壁に掛けて記念撮影するほどに、国家的な慶事となった。1970年代を迎え、遠洋漁船は850隻、船員は2万3000人に上るほど、遠洋漁業は主要な輸出産業にまで成長した。遠洋水産物が総輸出の5%を占めたのだ。遠洋漁船に3年乗れば家が買えると言われたほど、船員たちは裕福に過ごすことができた。

 1959年、南太平洋に出航した第2指南号の航海士は後日、世界最大のマグロ船団を率いる「マグロ王」になる。金在哲(キム・ジェチョル)=90=東遠グループ名誉会長だ。「たくさんの魚を積んでサモアに帰るところだ。(中略)昨日までは海が荒れていたが、今日は大漁帰港を祝うかのように至って穏やかだ」。金会長が弟宛てに大漁の喜びを伝えた手紙が36年間にわたって中高生の国語の教科書に掲載された。金会長が1982年に「ツナ缶」を開発したことで、マグロは韓国の国民食となった。旧盆や旧正月の季節には、マグロのギフトセットが30万個も売れた。

 金会長は長男が大学生の時、4カ月間遠洋漁船に乗せた。「良い経営者になるためには労働の価値を知り、末端で仕事をする人々の苦労も知らなければならない」と説得した。息子に続いて金会長の孫であるキム・ドンチャンさん(25)も今月末、遠洋漁船に乗ってマグロ漁に出掛けるという。「人生の重荷は重ければ重いほどいい。そうであればあるほど、人間は成長する」という金会長の名言にその理由が込められている。

 韓国は一時、米国、日本と共に三大漁業大国だった。1990年代以降は下り坂の一途をたどっている。タイなど後発走者が大挙して登場した上、各国が漁業資源を保護しようと遠洋漁船操業料を大幅に引き上げ、漁獲枠の割り当てを減らしているためだ。遠洋業界は高付加価値の刺し身用マグロ「スーパーツナ」を開発し、2キロで100万ウォン(約10万4000円)の高値を付ける北大西洋クロマグロ操業に乗り出すなど、活路を見いだそうとしている。「歴史をつくるのは挑戦のみ」という金会長の言葉は多くのことを物語っている。

金洪秀(キム・ホンス)論説委員

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