父親は「息子の障害が遺伝のようで、これまでずっと悲しかった」と開口一番口にした。父も息子も1歳になる前に視力を失った。それに加えて息子は片方の耳もほとんど聞こえず、脳出血で倒れた際、病院では「血管が狭すぎて見えないほど」と説明した。父親は「息子の目耳鼻口のうち、どれ一つとして正常に機能するものがなかった」とし「悪条件を受け継いで生まれてきた」と語った。
この親子は一生にわたってお互いの顔を知らないまま、一緒に暮らした。その代わり、週末ごとに一緒にサッカーをしながら汗を流した。社会福祉学科を卒業したドンジンさんは福祉機関を転々としながら非正規職として仕事に就き、父親に付いてマッサージ師になった。「ドンジン氏は苦しんでいたか」と尋ねたところ、彼がしばらく沈黙して口を開いた。
「ドンジンは死ぬ数日前にとても幸せだと言いました」「何か特別なことでもあったでしょうか」「お父さんと一緒に通勤して、夕食も一緒に食べられて幸せだというのです。あの子が倒れた日も父母の日(毎年5月8日)だったので、私にマグロ屋で夕食をおごってくれました」「大変なそぶりを見せたくなかったのではないでしょうか」「楽天的なのも私に似ているようです。幼い頃から楽しく生きるようよく話してあげました」「何をすることが好きなのでしょうか」「一生懸命に仕事に打ち込んで、家族と一緒にご飯を食べるのが楽しいんです」
人々は非凡な遺伝子をうらやむため、自分が受け継いだ平凡な遺伝子の力を知らない。平凡な人々は互いに似ていて、それで互いを理解する。イ・ドンジンさんと彼の父親のように。平凡なことがどれほど特別なのか、その日改めて悟った。
ピョン・ヒウォン記者