【寄稿】朝鮮王朝の亡国を招いた道徳政治

 決まり文句の分断国家、独裁国家、従属国家、暴力国家は、韓国の総体的真実ではない。大なり小なり欠陥はあるにしても、韓国は韓半島の歴史上、最も成功した近代国家だ。韓国は、国を建て、守り、育てるすべを理解していた、国家建設の「方法論」所有者のおかげでここまでやって来た。「方法人」として李承晩(イ・スンマン)元大統領と朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領は、漠然とした理想ではなく具体的な現実を直視し、抽象的な観念ではなく実践的な戦略に通じていた。誰が何と言おうと、単独政府樹立と韓米同盟、経済開発5カ年計画などは韓国の下絵にして土台だ。

 方法論を掲げたリーダーシップは、韓国史においては決して一般的ではなかった。とりわけ朝鮮王朝時代以降、韓国政治のカラーは道徳政治、観念政治、思弁政治の側にずっと近くなった。開国から200年を経て王朝の積弊清算を叫んだ栗谷・李珥(イ・イ)もまた、当為と原則の水準から自由ではいられなかった。壬辰(じんしん)倭乱(文禄・慶長の役)による国家存亡の危機を克服したのは、ほぼ全て柳成竜(ユ・ソンリョン)のおかげだったが、国らしい国を作るための方法と実用的政策に精通していたという点で彼は実に例外的な人物だった(宋復〈ソン・ボク〉『柳成竜、国を再び造るときでございます』)。

 だが国難が終わり、朝鮮王朝は「方法論の政治」と再び決別した。柳成竜は「国政専断」「権勢戯弄」「不正腐敗」など、こんにちまで韓国人が慣れ親しんだ罪で罷免された。柳成竜の後、朝鮮王朝は倫理の世界とイデオロギーの政治にUターンし、究極的には亡国の悲劇へと直進した。そして、こうした根本主義の幽霊は、現代韓国政治において依然として生きている。積弊清算は常に準備されていた刃であり、権力の壟断(ろうだん、利益を独占すること)は誰にでも向けられ得る矛先だ。

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