就職活動中に「努力しても就職できない」という不安感にさいなまれるとすれば、就職に成功して人も「この程度の結果のためにあれだけ苦労したのか」という疑問を抱く。
ソ・ジョンリさん(仮名・24)は、首都圏の大学を卒業後、幼稚園の教員になった。就職時に園長は、他の私立幼稚園程度は給料を出すし、終日クラス手当も払うと言った。それは口だけだった。6歳クラスを一つ担当すると思っていたら、3クラスを担当しなければならない日が多かった。月給が最低賃金に満たないと、園長はソさんに「特別授業手当」の名目で月に20万ウォンを上乗せ支給した。しかし、ソさんは院長が上乗せした20万ウォンを毎月、院長の娘の個人口座に入金している。院長は幼稚園を継ぐために放送通信大に入学した息子の課題までソさんに押し付けた。
ソさんのように待遇に恵まれない職場に通う人だけが虚脱感を覚えているわけではない。高校教員のオ・ダビンさん(仮名・26)も「これからは(自分が育った当時よりも)階層が転落することはあっても、アップすることとは思えない」と話した。教員試験に受かり、終身雇用の職に就けたこと自体をうらやむ人もいるだろうが、それを実現したオさんは「自分の給料では富に蓄えることはできない」と話す。
20代が感じるそうした虚脱感や不安感について、光州教育大のパク・ナムギ教授は「努力の裏切り」と定義する。高度成長時代の韓国人は両親よりも豊かになることを当然視していた。それは実は例外的な時代の例外的な幸せだったのだが、多くの韓国人は「努力すれば成功する」という「努力万能論」を子どもたちにたたき込んだ。