キッシンジャーと韓半島【萬物相】

 6・25戦争が起きたとき、ヘンリー・キッシンジャーが米国大統領の耳をつかまえていたら、休戦ラインは今より150-200キロ北上していたかもしれない。キッシンジャーは、仁川上陸作戦に成功した米国が中国を刺激しないよう、清川江と咸興湾を結んだラインや南浦-元山周辺の北緯39度を起点に休戦すべきだったと語った。当時の李承晩(イ・スンマン)大統領と韓国国民には受け入れ難い提案だったかもしれないが、結果的に、賢明な選択だった可能性が高い。

 1954年にハーバード大学で博士号を取ったときから大国中心の勢力均衡に関心があったキッシンジャーにとって、中堅国や弱小国は関心の対象ではなかった。2017年に彼は、米国と中国が「北朝鮮の政権崩壊と在韓米軍の撤収」を交換する「重大な取引(ビッグディール)」をすべきだと語った。当事国である韓国の立場は無視して、覇権国へと浮上した中国を認め、「巨人」同士で北東アジアの安全保障を決定すべきという主張だった。

 「タイム」誌の表紙に20回以上も登場するほど華麗な経歴を持つ彼にとって、最も屈辱的な瞬間は、1973年のノーベル平和賞受賞だった。彼がベトナム平和協定の功績でベトナム労働党のレ・ドク・ト政治局員と共にノーベル賞を受賞することになると、ノーベル委員会の委員2人が抗議の意味で辞任した。ニューヨーク・タイムズ紙は、彼が南米の軍事政権を支持し、カンボジア秘密爆撃作戦などに責任を有しているとして「ノーベル戦争賞を受けた」と嘲弄した。結局、キッシンジャーは授賞式には出席せず、75年にベトナムが赤化統一された後、ノーベル賞返納の意志を表明した。

 11月30日にキッシンジャーが100歳で亡くなった。彼の息子は今年の初め、「消えることのない好奇心で世の中と力動的にコミュニケーションを取ること」を彼の長寿の秘訣(ひけつ)として挙げた。サッカーファンでもあるキッシンジャーは、生涯にわたって、かつての故郷ドイツのサッカーチームのスポンサーかつ名誉会員であり続けた。女性にも大いに好奇心があり、国務長官として在職中も暇があれば芸能人らとデートを楽しみ、新聞のゴシップ欄に出入りした。公職から退いた後はコンサルティング会社を営み、財産をおよそ5000万ドル(現在のレートで約73億円)規模にまで膨らませた。

 キッシンジャーの好奇心が最後に到達した場所は、人工知能(AI)だった。90歳を超える歳でAIについて学び始めた彼。2021年には、元グーグル最高経営責任者(CEO)のエリック・シュミットらと共に『AIと人類』(原題:『The Age of AI』)を出版した。今年5月の100歳記念インタビューで「歴史上、敵軍に完勝する能力があった例は一度もなかったのだが、今ではAIがあるのでそうした限界はなくなった」と警告した。キッシンジャーが最後まで関心を持っていたAIが、国際問題で彼に次ぐ洞察力を発揮するのかどうか気になる。

李河遠(イ・ハウォン)記者

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