アフリカ・コンゴ出身の元NBA(北米プロバスケットボールリーグ)スター、ディケンベ・ムトンボの幼い頃の夢は、貧しい人たちを助ける医師になることだった。奨学金を得て米国のジョージタウン大学に留学したムトンボは、バスケットボール部監督から度重なる説得を受けたことをきっかけに選手となり、1991年にNBAデビューを果たした。ムトンボは2009年に引退するまで、8回にわたりオールスターに出場し、また最優秀守備選手賞にも4回選ばれている。ムトンボは特にブロックショット(相手のシュートをたたき落とすこと)が得意で「名手」とも呼ばれた。

 ムトンボはコートの外でも尊敬と賞賛を受け続けた。2007年にはコンゴの首都キンシャサに母の名前をとった300病床規模の病院「ビアンバ・マリー・ムトンボ病院」を建てた。建設に必要な2900万ドル(現在のレートで約35億円、以下同じ)のうち、1500万ドル(約18億円)はムトンボの寄付だった。米国のブッシュ大統領(当時)は07年、新年の辞を発表する際にムトンボを招待し「このコンゴの息子を米国市民と呼ぶことができることは光栄だ」と述べた。

 世界の一流アスリートによる高額の寄付が「ノブレス・オブリージュ(財産・権力・社会的地位の保持には責任を伴うこと)」として認識されはじめたのは、もう随分前のことだ。ボクシングで史上2人目の6階級制覇を成し遂げたマニー・パッキャオは、2013年に地元フィリピンの台風被災者のために1800万ドル(約22億円)を現金で寄付した。またタイガー・ウッズは21歳の時から財団を設立し、これまで数千万ドル(数十億円)を社会に還元してきた。

 韓国のスポーツ選手たちも積極的に寄付を行っている。100億ウォン(約11億円)規模の財団を運営するプロゴルファーの崔京周(チェ・ギョンジュ)は、2013年に社会貢献活動を積極的に行うアスリートに授与される「チャーリー・バートレット賞」を受賞した。受賞の際、崔京周は「多くの人たちの支援を受けて今の自分がある」とした上で「私はそれらの支援に報いるため、他の人たちを助けて行かねばならないと考えている」と述べた。フィギュアの女王、キム・ヨナも「寄付の女王」だ。キム・ヨナは17歳の時、後輩たちのために1200万ウォン(約130万円)を奨学金として寄付し、最近は大地震に見舞われたネパールの子供たちのために10万ドル(約1200万円)を寄付した。

 ただしこのようなアスリートたちの寄付が、いつも我々の心を和ませてくれるわけではない。女子ゴルフの世界ランキング1位でニュージーランド在住のリディア・コー(韓国名コ・ボギョン)は、先日テキサス州での大会に出場した際「賞金の全額を地震の被害を受けたネパールに寄付する」と表明した。リディア・コーはおそらく本当に優勝し、優勝賞金の19万5000ドル(約2300万円)を寄付したかっただろう。しかしその計画は思い通りにはいかなかった。リディア・コーは1ラウンドが終わった時点で117位タイと振るわず、一時は途中で脱落しそうにもなった。最終的にリディア・コーが寄付できた額は6241ドル(約75万円)だった。

 一部のファンたちは「それでもリディア・コーは追加で寄付するだろう」と期待していたが、それも行われなかった。そのためリディア・コーが最初から一定額を寄付しなかったことに誰もが疑問を感じるようになった。リディア・コーはまだ18歳と非常に若いが、ここ1年半で手にした賞金総額は300万ドル(約3億6000万円)に達する。今シーズンもすでに91万5051ドル(約1億1000万円)を獲得し、現時点で賞金ランキング1位だ。

 リディア・コーはアマチュアだった時、韓国のある銀行から1億ウォン(約1100万円)の支援を受け、また来年のリオデジャネイロ・オリンピックにはニュージーランド代表として出場する。その一方で在外国民特別選抜によって高麗大学に入学していることから、誰が見ても「一流大学の看板」を手にしやすい道を選んだのは明らかだ。そのような中、今回のようにすっきりしない寄付問題まで浮上した。もちろんリディア・コーに「聖人君子になれ」と言っているわけではない。ただ周りにいる大人たちが「尊敬されるスター」か「一介のゴルフ選手」かの分かれ道で迷っているリディア・コーに、しっかりとアドバイスできなかったのは確かなようだ。今の名声にそぐわないリディア・コーの行動は誰がみても残念だ。

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