「尹晶煥(ユン・ジョンファン)マジックが日本を魅了した」(朝日新聞)

 現役選手時代に「天才ゲームメーカー」と呼ばれたJリーグ・セレッソ大阪の尹晶煥(ユン・ジョンファン)監督(45)が日本で名将として認められた。尹晶煥監督率いるセレッソ大阪は1日、埼玉スタジアムで行われた天皇杯決勝で、横浜F・マリノスを延長の末2-1で破り優勝した。前半に先制ゴールを奪われた後、後半に同点ゴール、延長前半に逆転ゴールを入れるという劇的な勝利だった。

 セレッソ大阪は2017年のシーズン入りを前にJ2リーグ(2部リーグ)からJ1リーグ(1部リーグ)に昇格、尹晶煥監督に指揮を任せた。開幕前は1部残留が現実的な目標だと思われたが、同シーズンは19勝9敗6分(勝ち点63)と大健闘して18チーム中3位に浮上、昨年11月のJリーグカップ(ルヴァンカップ)に続き、天皇杯優勝までさらった。

 尹晶煥監督は現役時代、「光と影」の両方を経験した。1995年に油公コッキリ(現:済州ユナイテッドFC)入りしてプロデビューし、優れたパスのセンスで人気を集めた。Kリーグ通算記録は203試合に出場で20ゴール・44アシスト。しかし、韓国代表チームからは「一生懸命プレーしない」「競り合いに弱い」「内向的でチームメートとコミュニケーションを取らない」などの理由で外された。韓国がベスト4入りした2002年韓日共催ワールドカップ(W杯)時は最終エントリー23人に入りながら、本選の舞台には全く立てなかった。体力を前面に押し出したオランダ式トータルサッカーを目指すフース・ヒディンク韓国代表監督=当時=の目に留まらなかったからだ。

 2008年に現役を引退した尹晶煥監督は、サガン鳥栖のユースチームで指導、強力なリーダーシップを発揮した。11年にサガン鳥栖の監督に就任すると、「マジック」を生み出した。九州にある人口7万人の町が本拠地のサガン鳥栖は、当時J2リーグでも万年下位の弱いチームだった。尹晶煥監督は負け犬根性が染み付いていた選手たちに闘志と忍耐を強調した。そうして監督就任1年目でJ2リーグに属していたチームをJ1リーグに昇格させた。同チーム史上初のJ1昇格だった。

 尹晶煥監督はセレッソ大阪の監督に就任した時、ヒディンク監督が02年W杯前に韓国代表たちにさせた「シャトルラン」(20メートル往復ランニング)を練習に導入した。選手たちに対して厳しい規律を強調、過酷なトレーニングを頻繁にさせた。日本のサポーターたちはこうした尹晶煥監督を「鬼」と呼んでいる。

 尹晶煥監督は先月、Jリーグアウォーズ優秀監督賞を受賞した。 1993年から始まったJリーグアウォーズで韓国人指導者が優秀監督賞に選ばれたのは初めてだ。尹晶煥監督は1日の天皇杯優勝後、「選手たちが最後まであきらめなかった。1年でこのように成長したので、今年はもっとよくなると思う」と語った。

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