「ネズミの婿選び」という韓国の昔話がある。ネズミの夫婦が年老いてから得た娘をこの世で最も立派な存在に嫁がせようと考えた。お天道様に聞くと「私を隠してしまう雲がいい」と言い、雲は「私を飛ばしてしまう風の方がましだ」と言った。そして風は「私がどんなに強く吹いてもびくともしないものがある。それは恩津弥勒(みろく)だ」と答える。

 恩津弥勒は「論山灌燭寺石造弥腕菩薩(ぼさつ)立像」の別称だ。灌燭寺が位置する忠清南道論山市灌燭洞一帯がその昔、恩津面に属していたことから、こうした名前が付けられた。高さ18.12メートルと国内最大規模の石仏は、前から見上げると、花こう岩が与える雄大さとどんな嵐にも負けない威風堂々とした姿が感じられる。高麗時代初めの968年(光宗19年)、国家を挙げた支援の下、当代の彫刻職人だった僧侶慧明が手掛けた。

 別名「巨人仏像」とも呼ばれ、論山陸軍訓練所に入所する新兵の家族はもちろんのこと、数多くの信徒が訪れる恩津弥勒がようやく55年目にして宝物から国宝に昇格される。文化財庁は、宝物第218号の同仏像を2月13日に国宝として指定予告した。恩津弥勒が宝物に指定されたのは1963年のことだ。韓国人の愛を一身に受けてきた仏像は、今になってなぜ国宝として指定されることになったのか。

 文化財の指定と昇格は、原則的に遺物の持ち主が申請することで審査が成立する。恩津弥勒を所有していた灌燭寺が、国宝昇格の申請をしなかったことが最大の理由だ。しかし、この他にも事情はある。恩津弥勒はその奇妙な顔つきのため、長い間「低評価」されてきた。頭と手が大き過ぎるほか、体つきもずんぐりしているため、最近の感覚ではお世辞にもスマートな体型とは言えない。頭より長い円筒状の宝冠をかぶっている点も、一役買っている。広くて平らな顔に土俗的な目鼻立ちをしていることから、「不細工な仏像」と呼ぶ人もいる。実際に美術史では、三国時代と統一新羅時代の精巧で洗練された仏像に比べると「高麗時代に入って仏像の造形美と制作技術が後退したことを物語るケース」といった考察もある。

 ところで最近になって「再評価」する動きが高まりを見せ始めた。これまでは、統一新羅時代の石窟庵が仏像の美的基準とされてきたが、果たしてこれが全ての時代に通じるものなのか。精製と理想の美しさを追い求めたのが統一新羅の美的感覚だとすれば、これとは正反対の恩津弥勒は「型破りで大ざっぱ」という新しい時代の美的感覚を代弁しているのではないか。

 仏教美術専門家で文化財委員の竜仁大学のペ・ジェホ教授は「一つの岩で一つの仏像を作り上げた新羅時代とは違い、大きな三つの岩で巨大な仏像を積み上げた技法は非常に新しく、アバンギャルドな発想だった」とした上で「灌燭寺の仏像は、忠南扶余の大鳥寺石造弥勒菩薩立像など当代の多くの仏像に影響を及ぼした一つの規範となった」と説明する。また、ペ教授は「衣装の裾を細かく見ると、風でわずかになびくようなリアルな技法も見受けられる」と表現する。制作者の技術が低かったわけではなく、意図的に制作した可能性があるという話だ。文化財庁は「独創性と完全性に優れ、国宝に昇格する価値は十分」と発表した。

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