話題の一冊
「日帝の言論弾圧、英国も手を貸していた」
「最初に記録を見つけてから46年を経て、本として出すことになりました」
韓国言論史分野の重鎮、鄭晋錫(チョン・ジンソク)韓国外大名誉教授(83)が最近、新たな研究書『4件の歴史ドラマ』(ソミョン出版)を出した。1907年から08年にかけて、抗日日刊紙「大韓毎日申報」を巡って起きた4件の国際裁判の公判記録を翻訳・収録し、解説した本だ。その中心には、「大韓毎日申報」の社長だった英国人ぺ・ソル(本名:アーネスト・トーマス・べセル)=1872-1909=がいた。
この4件の裁判は、(1)1907年10月と(2)1908年6月に英国政府が「韓国の民心を扇動した」という理由でソウルでぺ・ソルを2度裁判にかけた事件、(3)1908年7月に日帝の統監府が国債報償基金横領の罪で「大韓毎日申報」のジャーナリスト梁起鐸(ヤン・ギタク)を裁判にかけた事件、そして(4)「ぺ・ソルが基金横領を認めた」という誤報を出した中国・上海の英字新聞に対して1908年12月にぺ・ソルが名誉毀損(きそん)の訴訟を起こした事件のこと。韓国・英国・日本がからむ、希代の国際裁判だった。
国際関係史、司法史、外交史、抗日運動史、言論史に関連するこれらの裁判は、一言で表現すると「抗日言論に対する日帝の弾圧に英国が同調した」と要約できる。鄭教授は「英国人がオーナーだったため治外法権を持っていた大韓毎日申報を押さえ込もうと、日帝は英国政府の力を借りた」と語った。
1902年の日英同盟以降、英国と日本は協力的な関係にあり、日本は「ぺ・ソルが暴動を扇動して韓国政府と国民の間に不和を挑発しようとした」という理由で英国政府がぺ・ソルを処罰するよう工作した。英国は日本の要求を受け入れ、ぺ・ソルは最終的に有罪を言い渡されて6カ月の謹慎と3週間の禁固刑を受けた。ここで注目すべき点は、当時英国のような列強は韓国の義兵など抗日運動を「秩序を害する暴動」と見なしていたということだ。
ぺ・ソルの禁固刑の直後に開かれた梁起鐸の裁判について、鄭教授は「梁起鐸は無罪判決を受けたが、日帝はこの裁判を通して、当時全国的に広がっていた国債報償運動の熱気に冷や水を浴びせようとした」と分析した。また「ぺ・ソルが基金の一部を株式購入や融資などとして運用し、横領の疑いを招いたのはミスだと見ることができる」と説明した。
兪碩在(ユ・ソクチェ)記者