安倍晋三元首相が世を去ってもう十日になるが、日本では依然として誰もが安倍元首相の話をしている。安倍元首相の国葬を電撃決定した岸田文雄首相は、今回の事件は「民主主義に対する挑戦」だと憤った。追悼の波は続いているが、銃撃犯・山上徹也容疑者(41)に対する非難の声はあまり聞かれない。むしろ、ひそかに同情の世論が集まっている。今回の事件の独特な点だ。

 日本メディアが伝える山上容疑者の人生には屈曲が多い。当初は裕福な家庭に生まれた。母方の祖父は名門国立大学出身の実業家で、両親や親類はいずれも名門大学出身あるいは専門職の従事者だった。ところが両親の仲は円満ではなく、父親は山上容疑者が子どものころ、自ら命を絶った。宗教にのめり込んだ母親が家の財産を売り払い、家計は急激に傾いた。山上容疑者の高校の卒業アルバムを見ると、自分の写真の下に「分からない」と一言書いてある。各自、自分の将来の希望や計画を書き込む欄だった。

 時代の運も伴わなかった。山上容疑者が社会人として歩み始めた2000年代前後は、大卒者の就職率が歴代最低をさまよっていた時期だ。しばしば語られる「就職氷河期」の最後の世代に当たる。各種の就職用資格証を取ったが、非正規職で働いては辞めてしまうということを繰り返した。就職氷河期時代に社会人として世に出た30代後半から40代半ばの世代には、山上容疑者と似たような人生を送ってきた人が多い。およそ100万人が依然として長期失業あるいは非自発的非正規職の状態にある。20代前半の「最初のボタン」をきちんとはめられなかった代償を、生涯払っているわけだ。安倍氏は2019年の参院選直前、就職氷河期世代への支援策を発表した。3年間で正規職30万人を増やしたいというものだった。だが人気を意識した掛け声にすぎず、目標は当初から荒唐無稽なものだった。

 山上容疑者には、就職できない苦痛と経済的問題、持病・障害で苦しんでいた兄の自死など、不幸が相次いだ。結婚もできず、人間関係はほとんどないも同然だった。このところ日本で使われている言葉でいえば「無敵の人」だった。失うものがないから怖いものもない人、という意味だ。怒りがどこに向かうか分からない。個人の不幸であると同時に社会問題でもある。山上容疑者のソーシャルメディア(会員制交流サイト)のアカウントには、社会に対して積極的に助けを求められなかった自分の境遇に対する悔恨が現れている。「犯罪は絶対に許されないが、山上容疑者に同情するのも仕方ない」というコメントが付く理由がここにある。

 山上容疑者は、選挙・言論・訴訟など制度を通した問題解決ではなく、遂には暴力を選んだ。宇野重規・東京大学教授は、これについて「民主主義に対する挑戦というより、民主主義の敗北」(朝日新聞)と指摘した。若者が就職氷河期の中で怒りを感じる事情は、韓国も変わらない。韓国の民主主義は敗北することがないのを望むばかりだ。

東京=崔銀京(チェ・ウンギョン)特派員

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