▲写真=李在明(イ・ジェミョン)共に民主党代表/NEWSIS

 北朝鮮に追随する従北勢力が韓国の政治の表舞台に入り込んだ契機は2012年の総選挙とされている。国家保安法廃止、韓米同盟破棄を綱領とする統合進歩党は、民主党との政策協力と候補一本化で13議席を得る躍進を遂げた。しかし、政党間の大連合を可能にした予備実験は、それより2年前の地方選挙で行われていた。

 2010年、民主党の京畿道・城南市長選に出馬した李在明(イ・ジェミョン)共に民主党代表は、ハンナラ党の候補者と接戦を繰り広げていたが、民主労働党の金美希(キム・ミヒ)候補との一本化に成功し、決定的な勝機をつかんだ。李代表は市長当選後、金候補を引き継ぎ委員長に任命し、引き継ぎ委員会に従北勢力である京畿東部連合出身者を数多く布陣した。城南市は翌年、清掃委託業務を京畿東部連合出身者が主要幹部として活動する業者に任せ、数年間にわたり56億ウォン(約6億2000万円)規模の随意契約6件を締結した。当時政界で人脈が貧弱だった李代表とって、京畿東部連合は心強い支持勢力となり、京畿東部連合は李代表を通じ、政界入りのきっかけをつかみ、収入源まで手に入れた。李代表に市長選出馬を譲った金美希氏は、2年後の総選挙で城南市中院区の野党単一候補として出馬し、国会議員になった。

 民主党を宿主として迎えた従北全盛時代は、2年後に統合進歩党に違憲判断が下されることで鉄槌を下された。同党が国家の象徴である国歌と太極旗を否定し、国家インフラへの攻撃を計画していたという事実は、国民に大きな衝撃を与えた。そうして統合進歩党は解散したが、その中核メンバーは進歩党へと看板を変え、再起を狙っている。

 統合進歩党勢力を再び政界入りさせるきっかけをつくった人物もやはり第1野党代表に姿を変えた李在明氏だった。昨年4月、全羅北道全州乙選挙区の再選挙に李石基(イ・ソッキ)元統合進歩党議員の大学の後輩である進歩党の姜聖熙(カン・ソンヒ)氏が出馬した。民主党は自党所属の李相稷(イ・サンジク)議員の失職に伴う選挙だという理由で候補を擁立せず、民主党出身者が無所属で出馬すると、「当選しても復党させない」と一線を画した。姜候補は「ありがとう、民主党」という横断幕を掲げ、選挙運動を繰り広げて当選した。姜議員は国会議員になった後、民主党の李在明支持強硬派である「チョロ厶会」に他党からは唯一加入したが脱退した。

 李在明代表の最側近である鄭鎮相(チョン・ジンサン)氏が京畿東部連合出身だと主張する人もいる。鄭氏は1990年代半ば、李在明弁護士事務所で働いていたとされる。鄭氏が李代表を京畿東部連合と結びつけた仲介役を果たしたと考えられる。鄭氏はあらゆる司法リスクが李代表に燃え移らないようにシャットアウトする最後のファイアウォールの役割をしている。李代表が法廷で対面した鄭氏を「一度抱きしめたい」と判事に求めたのは、最後まで自分を守ってほしいという意味合いだったと受け止められている。全国民主労働組合総連盟(民主労総)の重鎮の一人に数えられるキム・ジュンヨン国民労働組合事務総長は昨年末、ユーチューブに投稿されたインタビューで、「李代表は鄭氏が最後まで口をつぐむことを条件に、京畿東部連合の要求事項を聞かなければならないだろう」と指摘した。その予言は現実となっている。

 民主党は今回の総選挙で、比例区での連合政党を通じ、進歩党に3議席の当選権を割り当て、左派陣営の票田である蔚山市北区で自党の現役議員を排除し、進歩党に単一候補の座を明け渡した。進歩党は民主党の助けで少なくとも4議席をいとも簡単に確保したことになる。李在明代表は今年1月、党最高委員会議で、「北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)(総書記)、金日成(キム・イルソン)主席の努力が中傷、毀損されないように努力すべきだ」と述べた。李代表がこの14年間、従北勢力の京畿東部連合と連帯し、彼らの政界入りを助けてきたことはその努力の一つなのだろうか。

ソン・ボンソン韓半島安保戦略研究院理事長

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