大韓航空機撃墜した旧ソ連操縦士「モスクワが最終指示」

2003/10/17 19:55

 「当時としては民間機と識別することが難しかった。旅客機であるという事実を知っていれば、上部の撃墜命令を拒否していたでしょう」  「操縦士の私に直接的な発砲権はない。命令によってのみ可能です」  「7年間、サハリンの基地で勤務する際、500回以上に渡って米偵察機のソ連領空侵犯を阻止するため出撃し、警戒飛行をしました」  「大韓航空機は最後に炎に包まれ爆発しました。私が本当に旅客機を撃墜したと..

続き読む