数百人の脱北者を中国から東南アジアの第3国に手引きした中国人が韓国で難民認定を受けた。韓国法務部(省に相当)は23日、中国人の塗愛栄さん(55)に21日付で難民認定を行ったと発表した。中国人の脱北ブローカーが韓国で難民として認められるのは異例だ。塗さんは本紙とのインタビューで「脱北者たちが地獄のような北朝鮮から逃げ出し、天国に向かうにあたり私が役に立ったことを認めてもらえてうれしい」と語った。
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数百人の脱北者を中国から東南アジアの第3国に手引きした中国人が韓国で難民認定を受けた。韓国法務部(省に相当)は23日、中国人の塗愛栄さん(55)に21日付で難民認定を行ったと発表した。中国人の脱北ブローカーが韓国で難民として認められるのは異例だ。塗さんは本紙とのインタビューで「脱北者たちが地獄のような北朝鮮から逃げ出し、天国に向かうにあたり私が役に立ったことを認めてもらえてうれしい」と語った。
塗さんは2004年から脱北者の越境に関与してきた。元々は中国とラオスを行き来しながら家具の輸入ビジネスを手がけていた。塗さんは「最初は朝鮮族の知人から数人の中国人をラオスに連れて行ってほしいと頼まれ、5-6人を案内した」「後から彼らが北朝鮮の人たちだったことを知った」と説明した。
塗さんは1963年に中国江西省の農村で生まれた。20代の頃は香港のように豊かな都市で金儲けをすることが夢だったという。その後、中国南部や東南アジアで仕事をしているうちに脱北ブローカーになった。2004年から今年まで中国国内に滞在していた400人の脱北者をタイに、100人以上をラオスに案内したという。塗さんは「苦労する脱北者たちを見ていると自分が子供の頃のことを思い出した」と語る。中国国内の脱北者は、摘発されると本人の意志とは関係なく北朝鮮に送り返される可能性が高い。
脱北にあたり現地の事情に詳しいブローカーはいわば必要悪だ。塗さんも脱北者を国境へ、さらにそこから先へと案内する条件として韓国国内の人権団体や教会などから現金を受け取っていた。ラオスに向かう際には脱北者1人当たり500ドル(約5万6000円)、タイの場合は1000ドル(約11万円)を受け取ったという。塗さんによると、中国国内の安全な場所から国境までの交通費、そして国境で警備員を買収するための費用に使ったので手元に金はほとんど残らなかったが、その残った金で家族を養い、家賃の足しにもしていたという。
脱北者支援事業を行ってきたある教会の牧師は「タイの現地で脱北女性たちが売春業者に売り飛ばされそうになったことがあるが、(塗さんが)最後まで追跡し救出したこともある」と語る。脱北ブローカーの中には、人権団体に黙って脱北者たちから別に謝礼を受け取るケースもあるが、塗さんはそんなことはしなかったという。塗さんについてよく知る別の関係者は「最初は本人も金目当てで脱北を支援していたが、自分も苦労するうちに使命感を持つようになったようだ」とコメントした。
塗さんは2008年8月、脱北者の越境を支援した容疑で中国公安に逮捕された。塗さんが韓国の裁判所に提出した書類によると、塗さんは中国の裁判所で懲役3年執行猶予5年の判決を受けた。しかしその後も警察の厳しい監視や追跡が続いたため、最終的には塗さんも自ら案内した脱北者たちと同じく東南アジアに逃れ、12年にラオス国籍を取得した。
その後も現地で脱北者の手引きを続けたが、2016年にラオスの中国大使館から連絡があり、刑を軽くするので中国に戻り自首するよう指示してきたという。塗さんは「中国とラオス政府は親密な関係にあるので、私を中国に引き渡す恐れもあった」と語る。塗さんは1カ月後に済州島に行き、韓国政府に難民申請を行った。
しかし韓国法務部は最初は申請を拒否した。ラオス国籍を持っているため、中国政府から弾圧を受ける可能性は低いと判断されたからだ。また脱北ブローカーとして金を受け取っていたことも、塗さんの亡命動機を疑わせる要因になった。
塗さんは韓国法務部の職員から「金のために脱北者を支援したのだろう」などと問い詰められることもあり、その時は非常につらかったという。
法務部が難民申請を認めなかったため、塗さんは昨年4月に裁判所に訴えを起こした。同年12月に済州地裁は「塗氏は中国に戻れば懲役刑を受けるという恐怖を感じたはずだ」として塗さんの訴えを認め、今年5月に行われた2審でも同じ判断が下された。一連の判決を受け、法務部は塗さんを難民として認めることにした。その結果、選挙権はないものの、それ以外では韓国人と同じ法的地位を塗さんは手にした。塗さんの弁護を引き受けた弁護士法人の関係者は「脱北を支援した見返りに現金を受け取った。だから難民として認められないという法務部の主張は裁判所によって完全に否定された」とコメントした。
塗さんの妻と4人の子供もすでに韓国にやって来て難民申請を行っている。塗さんと家族は中国語しか話せないので、たまに建設現場などで働くことくらいしか仕事はできないという。今後の計画について塗さんは「家族を養えるような仕事を探したい」と語った。
ウォン・スンワン記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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