▲イラスト=ユ・ヒョンホ
一番大きな幸せを感じる瞬間はこれとは別にあった。「私たちの注意が単に目標だけのために自由に払われる時」、人々はまるで空を飛ぶような、あるいは流れる水に全身をゆだねて自由に流されていくことを連想させる、意識の最高の経験を味わっていた。本人を苦しめていたこまごまとした悩みなどは思い浮かばず、さらに時間の流れさえ忘れてしまう完璧な集中。それこそがまさに人間の享受できる最高の幸せであり没頭だ。
もちろん、..
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▲イラスト=ユ・ヒョンホ
一番大きな幸せを感じる瞬間はこれとは別にあった。「私たちの注意が単に目標だけのために自由に払われる時」、人々はまるで空を飛ぶような、あるいは流れる水に全身をゆだねて自由に流されていくことを連想させる、意識の最高の経験を味わっていた。本人を苦しめていたこまごまとした悩みなどは思い浮かばず、さらに時間の流れさえ忘れてしまう完璧な集中。それこそがまさに人間の享受できる最高の幸せであり没頭だ。
もちろん、幸福が珍しいように没頭もありふれた経験ではない。厳しい条件が満たされなければならない。没頭の対象は「技術力を要する挑戦的活動」だ。ここで重要なことはある適当なラインを探すことだ。遂行しなければならない課題が難し過ぎるとチャレンジ精神が低下し挫折を味わうようになり、没頭できなくなる。逆に課題が簡単過ぎても没頭は起きない。適度に難しい課題、明確な目標があり解決できると思う何かに挑戦する時、私たちは真の幸せを享受することになる。
そこで到達することになるもう一つの逆説がある。私たちが普段から考える余暇活動は楽しむのが難しいのに対し、うんざりすると思われがちな職業活動や仕事こそが、私たちに大きな幸せを与えているというのだ。「没頭」の一文を引用してみよう。「なぜなら職業はフロー活動と同じように、自体内に目標がありフィードバック・規則・挑戦などを備えていることから、当事者が仕事により一層熱中し、その中で自分を忘れて没頭できるようにしてくれるためだ」
韓国の現実はどうだろうか。労働改革と関連した談話が飛び交う様子を見ていると、情けないのを通り越してもはや絶望的だ。労働改革は週69時間か、52時間か、というように数字遊びをするような案件ではない。69時間が長過ぎて52時間に減らさなければならないならば、52時間も長過ぎるので40時間に減らし、最終的には労働時間が0時間になるまで果てしないストライキと闘争を繰り返す結論以外には到達するところがないためだ。
労働改革の究極的目標は人間を労働「から」解放させるものであるはずがない。誰も仕事をしない世の中はあり得ないし、望ましくもない。労働の「中で」、没頭を通じて幸せに仕事ができる世の中こそが私たちの目標でなければならない。労働時間の短縮議論だけが存在し、労働の中身を高め没頭するという労働の質的向上に対する議論が見られない現実が懸念される理由だ。1時間没頭すれば終わらせられる仕事を、30分間会議し、15分間たばこを吸ってきて結局2時間も働いている労働者たちの問題もテーブルに載せ、一緒に話し合うことができてこそ、真の労働改革が可能となる。そうしてこそ企業の生産性が向上するだけでなく、労働者たちも没頭を通じて幸せになれる。
世界中の人々が最も愛するスポーツマン、大谷翔平に戻ってみよう。彼はなぜ投手と打者を兼ねる、いわゆる「二刀流」の道を歩んでいるのだろうか。もしかしたら、野球にもっと没頭するために自らに大きな負担を掛けているのかもしれない。幼い頃から同年代に比べてずば抜けた体格、体力、技術を持ち合わせていただけに、片方だけに専念していたら野球がつまらなくなって没頭できなくなる恐れもあったかもしれない。
幸せへの道は単純だ。私に与えられた仕事を、私が今できるものよりも少し難しく、もう少し一生懸命にすることだ。誰もが大谷のように成功するわけではないが、大谷のような幸せを味わうことは不可能ではない。働く人、仕事を通じて幸せになりたい人のための、真の労働改革が切実に願われる理由だ。
ノ・ジョンテ
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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