【コラム】タイムマシンでやって来た北朝鮮応援団

【コラム】タイムマシンでやって来た北朝鮮応援団

 平昌五輪の氷上競技が開催された江陵オリンピックパークは、筆者をしばらく30年前の世界へといざなった。1988年にソウル五輪が開催された当時、30歳だった筆者は、記者生活4年目で卓球の取材を担当していた。当時の映像を見る限り、いかにもぎこちない開会式だが、当時蚕室に響き渡った大太鼓の音は、われわれに心地よい衝撃を与えた。大々的な清掃と整備でソウルは見違えるように輝いていった。何食わぬ顔で通りにごみを捨てていた人々が周囲の顔色をうかがうようになり、市民らはタクシー乗り場に並ぶようになった。中国人、ソ連人、東欧人の姿を見たのも、ソウル五輪が初めてだった。当時は分からなかったものの、ソウル五輪は韓国と韓国国民が国際的な田舎臭さから脱する歴史的な第一歩だった。

 30年の歳月が流れ、再び開かれた五輪の競技場内に座ってみると、30年前のソウル五輪当時のわれわれの姿がはるか昔のことのように感じられた。韓国の観衆は、あらゆる国からやって来た人々とあまりにも自然に交じり合っていた。西洋人を好奇心いっぱいの目で見詰める人は誰一人としていなかった。米国人やカナダ人を顔負けにさせるくらい、自然で個性味あふれる洋服を着た韓国の観衆が至る所に見受けられた。その頭上を世界で最先端のビート音楽によるBGMが流れていった。

 時折登場するバンドは、そのままニューヨークへ行っても通用するかのようだった。所々で見られる韓国の観衆と外国人の観衆の間での座席の確認は、ごく普通に英語で行われていた。言い争いをする人々は見受けられなかった。老若男女が交わり合っていた。警備をしている若い警察官たちは、外国人の観衆とごく自然に英語で対話を交わしていた。ボランティアたちは言うまでもなかった。知らない間に韓国は、田舎臭さから脱していた。開放経済と成長、自由な海外旅行の30年が作り出した変化が、目の前で天然色と化していった。

楊相勲(ヤン・サンフン)論説主幹
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