本州の西端、日本近代の発祥地にして韓国侵略の震源地「長州」

本州の西端、日本近代の発祥地にして韓国侵略の震源地「長州」

【新刊】許粹烈(ホ・スヨル)、キム・インホ著『長州物語』(知識産業社刊)

 日本を構成する最大の島・本州。その中でも最も西に位置するのが山口県だ。ここを、かつては「長州」と呼んだ。江戸時代には強い勢力を持って幕府と対立し、19世紀中盤にはついに幕府を倒して明治維新を実現する本拠地の役割を果たした。だが韓国人であれば、ここを旅行したり思い浮かべたりするとき、憤怒や慄然(りつぜん)とする思いを抱くことが多い。なぜだろうか。

 政治家の井上馨や三浦悟楼、内閣総理大臣になった伊藤博文や桂太郎、寺内正毅はいずれも長州出身だった。韓国人にとってはなじみのある名前だ。それもそのはず、彼らはいずれも、乙未(いつび)事変(閔妃〈びんひ〉暗殺事件。1895年)や乙巳勒約(いっしろくやく、第2次日韓協約。1905年)、強制併合(1910年)に関わった韓国侵略の元凶だった。長州は日本国内の嫌韓の本拠地ということになる。

 今年1月に他界した経済史学者の許粹烈・忠南大学名誉教授の遺作である本書は「長州に焦点を合わせて大衆のために記述した日本近代史」だ。長州出身の学者、吉田松陰が朝鮮侵略を主張した、いわゆる「征韓論」は、韓半島に対する日本人の長年の恐怖と嫌悪に由来するものだった。維新政府の人物は、この征韓論を、地方士族の不満を外部に向ける道具や政策の足場にした。一言で言えば、これは架空のイデオロギーだった。

 しかしその後、福沢諭吉のような自由主義者らが主張した1880年代の征韓論は、朝鮮王朝を「打倒すべき腐敗した権力」と認識させる役割を果たし、侵略のイデオロギーに進化した-と分析している。後日、朝鮮総督府は「朝鮮が日本の善意を無視し、和親しなかったせいで、やむを得ず進めたもの」と征韓論を歪曲(わいきょく)したという。412ページ、2万3000ウォン(約2500円)

兪碩在(ユ・ソクチェ)記者

<記事、写真、画像の無断転載を禁じます。 Copyright (c) Chosunonline.com>
関連ニュース
関連フォト
1 / 1

left

  • 本州の西端、日本近代の発祥地にして韓国侵略の震源地「長州」

right

あわせて読みたい