忘れられていく独島と「平和線」のドラマ【コラム】

10月25日は「独島の日」
しかし実質的な独島の実効支配の完成は李承晩の「平和線」宣言
力なき国が力による外交で領土を守った一編のドラマ

 李承晩の外交的先見は知れば知るほど感嘆させられる。中共軍介入後、国連軍では日本軍の投入を検討し始めた。すると李承晩は「日本軍が来たら、まず日本軍を退け、その次に中共軍と戦うだろう」と宣言した。存亡の危機に陥った国は、外部の支援は何であれ受けようとする。だがあのとき、もし日本軍が来ていたら、後々まで問題になっただろう。1953年には台湾軍投入も議論された。台湾は同じ反共国家だったが、李承晩はこれさえも拒否した。「われわれは長い間、中国に抑え込まれて発展できなかったのに、再び中国人の助けを受けることはできない」と言った。

 戦争が終わり、1954年に李承晩は米国でアイゼンハワー大統領と最悪の韓米首脳会談を行っている。アイゼンハワーが韓日関係の正常化を要求すると、李承晩は断固拒絶した。怒ったアイゼンハワーは部屋を出ていってしまった。戻ってきたアイゼンハワーが別の問題を話し合おうとすると、今度は李承晩が先約を理由に退場してしまった。彼は、日本だけは容認できなかった。

 李承晩はこのときの米国議会演説で「共産国家である中国は、いつか自由世界を大いに脅かすことになるだろう」と予言した。1954年当時、中国は非常に遅れた国で、この予言は注目を集めなかった。しかし李承晩が日本の真珠湾攻撃を予言したように、69年前の李承晩の中国脅威論もこんにち現実になった。

 現在、韓国と日本は自由民主の価値を享有し、中国・北朝鮮の脅威に共に対処せねばならない関係だ。在日同胞の高校野球チームの訪韓まで拒んでいた李承晩式の「反日」はもはや国益ではない。だが韓国国内の一部で、李承晩を「親日」と罵倒しているのを見ると、あきれ返る。ほかでもない、一時は政権を保持していた文在寅(ムン・ジェイン)側の人々のことだ。彼らは、2019年には臨時政府樹立100年に合わせて独立運動家10人を選定しておきながら、臨時政府の初代大統領である李承晩は排除した。彼らがいかに無知で、深刻な偏見に陥っているか、これ以上によく示してくれるものはない。

楊相勲(ヤン・サンフン)主筆

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  • ▲「独島の日」に当たる10月25日午前、大邱市達西区長基洞の達西アートセンターで開かれた「独島の日キャンペーン」に参加した「ハヌル庭園幼稚園」の園児たちと区庁職員、達西区住民らが太極旗を振って「独島よ、愛してる」と叫んでいる様子。/写真=ニュース1

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