韓国外交の巨星墜つ 孔魯明元さん(93)死去=「北方外交」で中心的役割、駐日大使や外相歴任

 多数の外交官たちの証言通り、孔魯明元長官は1983年のハイジャック事件「中国民航機韓国着陸事件」で首席代表を務め、国際法の原則に基づいて事態を解決することにより、中国はもちろん韓国社会にも強い印象を残した。潘基文元国連事務総長は「孔魯明元長官は南北核統制委員会の韓国側委員長として活動していた時、北朝鮮側がとんでもない主張をしたら強く叱責(しっせき)し、主導権を失わなかった」と回顧した。孔魯明元長官は1994年、北朝鮮の核開発中断の見返りとして軽水炉を提供する米朝ジュネーブ合意について、結局は北朝鮮にだけ有利な結果をもたらすと考え、「ジュネーブ合意に関与した人々は皆、その結果に対して責任を取らなければならない」と叱責した。

 金泳三(キム・ヨンサム)政権時代に政治的中傷を受けると長官職を電撃辞任した後、韓国軍ソウル地区病院に入院したエピソードも語り継がれている。当時、ジェームズ・レイニー駐韓米国大使が直接見舞いに来て、辞表を受理した金泳三大統領に対する米政府の不満を遠回しに表現した。金泳三大統領は後に自身の判断ミスだったことを認めた。

 2024年7月の「孔魯明セミナー室」命名式に車いす姿で現れた孔魯明元長官は「外交交渉を成功させるには相手に信頼感を与えなければならない。外交官たちは、天に恥じるようなやましいことは何もないという『仰天不愧(ぎょうてんふき)』の人生を歩まなければならない」と述べたが、これが事実上、公の場で残した最後の言葉になった。秘書官を務めた朴容民(パク・ヨンミン)駐タイ韓国大使は『孔魯明と私』に「(外交官は)私利私欲のわなや栄辱に陥らず、職をかけて仕事をして当然だということを孔魯明元長官から学んだ。本当に重要な主張は言葉でするのではなく、生き方でするのだということを教えてくださった私の英雄だ」と語った。祭壇は延世大学新村セブランス病院に設けられ、27日から弔問を受け付ける。

李河遠(イ・ハウォン)外交安保エディター

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  • ▲25日に死去した孔魯明(コン・ノミョン)元外交長官。写真=朝鮮日報DB

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