歴史の1次資料を解釈する際には必ずその文書が出る前後の状況、そして文書を作成した人物の意図を綿密に確認しなければならない。仮に第2次世界大戦当時、周辺国を侵略したナチス・ドイツが「民衆を圧制者から解放するために進軍した」とする布告文を発表した場合でも、これをそのまま信じる人間はいないだろう。

 ところがそのような人間が光復会の会長を務めている。光復会の金元雄(キム・ウォンウン)会長は先日行った高校生への講演で、光復直後に米軍が南韓で発表した「マッカーサー布告令」とソ連軍が北朝鮮で発表した「チスチャコフ布告令」を比較して説明した。米軍の布告令には「占領」という言葉が、ソ連軍の布告令には「解放」という言葉が出ていたことを強調したのだ。「米軍は占領軍でありソ連軍は解放軍だった」と受け取れる説明だった。光復会はここからさらに踏み込み「韓国人を完全に無視したマッカーサー布告令を批判すべきだ」と主張している。

 話にならないレベルの単純比較だ。当時38度線を境に南北をそれぞれ占領した米軍とソ連軍の役割は「占領軍」という点では基本的に同じだった。しかしこれはカイロ宣言とポツダム宣言に基づき日本軍を武装解除し、韓半島を開放するための一時的な占領だった。

 米軍とソ連軍の違いは、固い表現で行政文書を作成した米軍とは異なり、ソ連軍は政治将校を任命し巧みな宣伝扇動能力を発揮したという点だ。そのためソ連軍の布告には具体的な内容よりも「朝鮮人たちよ! 記憶せよ! 幸福はあなたの手の中にある」だとか「解放された朝鮮人民万歳!」といった甘い言葉が幾つもちりばめられていた。

 より重要なことは米ソによるその後の軍政統治がいかに展開したかということだ。それは政治活動の自由という面では明らかに違いがあった。米軍政は共産党を含む全ての政党を合法化したが、ソ連軍政は共産党を除く全ての政党を不許可にした。つまりソ連こそ占領軍だったのだ。分断の画策もソ連が先に行った。スターリンは1945年9月の指令書で南北の分断を指示し、1946年2月には北朝鮮臨時人民委員会という事実上の「北朝鮮単独政府」を樹立した。ある学者は「ソ連軍の布告文は最近であれば公正委から虚偽・誇張広告として制裁を受けていたはずだ」と舌打ちする。

 米ソによる布告文の一部についての単純比較は、かつて「左偏向教科書」と批判されたクムソン出版社の「韓国近・現代史」が掲載し物議を醸した。これには2004年に学界から強い問題提起があり、さらに当時の教育部(省に相当)からの勧告を通じて2008年に修正され、その後の教科書は二つの布告文を示す場合でも米軍の布告については「適当な時期に朝鮮を解放・独立させるという連合国の決定が含まれている」との文言を提示、あるいは当時の状況を理解できる追加の説明が入れられるようになった。ところが大韓民国光復会長は突然、幼い生徒たちの前で時計を17年前に逆回転させた。1945年にソ連軍のある政治将校が行った宣伝扇動が韓半島において76年にわたり影響力を持ち続けてきたということだ。

兪碩在(ユ・ソクチェ)記者

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