歴史問題
露日戦争時に日本が軍事拠点化…鬱陵島を通して侵略の歴史を振り返る
日本がこんにち、独島を日本領であるかのように主張するようになったのは、20世紀初めの韓国侵略の産物だった。1904-05年の露日戦争当時、日本は大韓帝国領だった鬱陵島と独島に強制的に軍事施設を設置し、その過程で1905年2月に独島を島根県に不法編入した。
【写真】「海底ケーブル陸揚げ地点」に設置された石碑
最近、東北アジア歴史財団の出入り記者団による鬱陵島・独島探訪を通して、その侵略の歴史が残っている遺跡地5カ所を踏査することができた。一般的な鬱陵島・独島旅行では経験し難い「ダークツーリズム(悲劇的歴史の現場を訪れて教訓を得る旅行)」というわけだ。その場所は、鬱陵島の(1)西望楼(2)北望楼(3)南望楼(4)海底ケーブル陸揚げ地点=地図参照=と(5)独島望楼だった。
1904年2月に露日戦争が起きた直後、日本は強圧的な議定書を大韓帝国と締結し、韓国領のどこであろうと兵たん基地化できる地位を得た。1904年9月、鬱陵島北西に無線電信設備を備えた西望楼を設置してロシア海軍を監視し、同年11月には日本の軍人が独島に上陸して調査作業を繰り広げた。05年1月、日本の内閣は「独島編入」を決定し、7月には鬱陵島北望楼と独島望楼を設置した。
皮肉にも、日本軍が望楼を設置した地域は全て景観が優れた場所であり、西望楼・南望楼・独島望楼などの近くには現在も韓国軍・警察関連の施設があるという共通点があった。西望楼近くには香木展望台、北望楼近くには石圃日の出日没展望台、南望楼近くには独島日の出展望台がある。独島望楼は現在のヘリポート近くと推定される。
しかし、きちんと整備が行われたり案内板が設置されたりしている場所はまれだった。北望楼へ行く道は途中から舗装が途切れ、荒れた坂道を登っていかなければならず、近くにある日本軍幕舎跡は放置されている上に接近すら容易でなかった。
唯一案内表示板が設置されている場所は、鬱陵邑沙洞里臥鹿沙海岸の散策路近くにある「海底ケーブル陸揚げ地点」だった。1904年に日本軍が松江と元山の間に敷設した海底ケーブルを陸地に引き揚げた場所で、1992年に韓国通信が立てた石碑だった。
東北アジア歴史財団のホン・ソングン独島室長は「望楼遺跡などは鬱陵島と独島に対する日帝の侵略を証明する重要な遺跡地」だと指摘し「きちんとした整備が行われるべき」と語った。
鬱陵島・独島=兪碩在(ユ・ソクチェ)歴史文化専門記者