▲尹海東教授は韓国史学界の異端的存在だ。植民地期の研究者である尹教授は、親日/反日式の二分法と民族主義の過剰を批判することにより、左右両派にとって不都合な存在になった。/写真=キム・ジホ記者

「『土着倭寇(わこう)』という単語は、かつての『アカ』よりも暴力的だ。土着倭寇と口にした瞬間、『パブロフの犬』のように、親日派がうじゃうじゃいる時空間が思い浮かぶ。多くの人が日常を営んだ植民地の現実をきちんと見られなくしてしまう」

 日帝植民地期の朝鮮を研究している尹海東(ユン・へドン)教授=63、漢陽大学比較歴史文化研究所=は、文在寅(ムン・ジェイン)政権時代に韓国で流行した「土着倭寇」という言葉をかなり気にしている。今の韓国社会に存在してもいない「敵」=親日派をつくり出し、その敵と戦うことで権力維持の道徳的正当性を掲げる「進歩勢力」に幻滅を感じたとも語った。何より、陣営を分けて合理的思考と理解を妨害する扇動で学界や知識人社会をまひさせ、知的基盤を弱体化させたのが問題だという。

■「韓国の学界はゲットー化…一部の人間が族長のように君臨」

 尹教授は『植民地のグレーゾーン』(2003)、『植民地公共性』(2010)などを出版し、親日と反日の二分法にとらわれた韓国現代史研究を批判してきた。イデオロギーに偏った民衆史学にも刃を向けた。尹教授は「韓国社会を覆っている民族主義のバブルを取り去らないことには、先進国の談論をつくり出していくことはできない」と語る。「韓国の学界は外部に対して壁をつくり、あまりにもゲットー化している。創批(文芸学術誌「創作と批評」の出版社)のペク先生のように、一部の人物が場所を取って、族長のように君臨している」とも指摘した。

 7月上旬に出版された新著『植民国家と対称国家』(ソミョン刊)は、.朝鮮総督府を「植民国家」として把握しつつ、その実体にアプローチした挑発的な研究書だ。尹教授は「韓国の学界は総督府の抑圧性ばかりを過度に強調するのみで、実在する権力機構をまるで存在しないかのように無視してきた」と語った。

■「植民地になっていなかったら先進的近代国家を樹立? 根拠のない話」

-朝鮮総督府は韓国人が認めたくない、日帝の暴圧的支配機構ではないのか。

 「当時、総督府は韓半島で唯一の権力機構だった。立法、司法、行政の分野で植民地朝鮮の近代的経済と社会を鋳造していった主体だ。李王職と朝鮮軍、朝鮮銀行は総督の管轄外にあり、日本のための統治機構というのは明らかだが、総督府が35年間朝鮮を統治し、率いてきた権力機構であるという事実は否定できない」

-ここ数年、日帝植民支配の暴力と抑圧を強調するため「日帝強占期」という用語まで登場した。

 「世界の学界の合意された名称は、単に『植民地時代』だ。強占とは学問的な用語ではなく、感性を刺激する扇動に近い。教科書までこうした用語を使うのは問題が多い。グーグルのデータベース調査によると、2000年代に入ってからは植民地権力機構を『植民国家』と呼ぶのが一般的だ」

-日帝植民支配は韓国人に拭い得ない挫折と劣敗感を抱かせた。日帝の侵略がなかったら、韓国人の力で近代国家を建設し、分断も起こらなかっただろうという認識が広く存在している。

 「19世紀に地政学的利点を活用し、西欧帝国主義の植民支配を受けなかった国がある。タイやネパール、アフガニスタン、エチオピアなどだ。今、アフガニスタンとエチオピアは戦争中で、ネパールは政情不安な貧困国家だ。タイはまだいい方だが、クーデターが周期的に発生する。韓国が植民地にならなかったら順調に近代国家を樹立しただろうという仮定は、歴史的合理性が低い。ましてや、先進国になっていただろうという暗黙の前提は成立し難い」

■「われわればかりが過酷な試練」は韓国例外主義…歴史的事実と異なる

-それでも、植民地の経験は韓国人に依然としてトラウマとして残っている。

 「西欧と日本くらいを除いて、アジア、アフリカ、中南米などほとんど全ての国が植民地に転落した。今、われわれは指標の上では完璧に先進国だ。2021年、国連貿易開発会議(UNCTAD)が韓国の地位を先進国グループに変更すると公式発表したではないか。韓国は国内総生産(GDP)規模で世界10位、製造業で5位、国防力で6位だ。世界に7カ国しかない『30-50グループ(1人当たりの国民所得3万ドル〈現在のレートで約410万円〉、人口5000万以上)』入りを果たしてから数年たった。世界は既に韓国を先進国として扱っているのに、韓国人だけがそれを認めないというのもナンセンスだ」

-韓国は20世紀に入って植民と分断、戦争という類例のない過酷な試練に直面した、という認識が強い。

 「韓国だけが植民地になったわけでもなく、韓国よりも過酷な戦争と虐殺に直面した国は多い。韓国だけが類例のない犠牲と苦難の民族史を持つという『韓国例外主義』は歴史的事実と符合しない。こうした例外主義は、犠牲と苦難を強調しているという点で大部分の民族主義に共通している。だが外部の視点で見れば、共感しにくい場合が多い。先進国待遇を受けている国の政権勢力が『竹やり歌』を歌っていたら、どう見えるだろうか」

■北の主体史観は三・一運動、大韓民国臨時政府に関心なし

-文在寅政権は2019年を「大韓民国100年」として打ち出し、南北が共に記念事業を展開すると言った。そうして、1948年の大韓民国政府樹立と李承晩(イ・スンマン)は無視した。

 「北は金日成(キム・イルソン)が生まれた1912年を『主体元年』にしたが、こういう神政論的歴史解釈は、南側の三・一運動や臨時政府建国論に神経を使う理由がない。結局、三・一運動100周年南北共同事業は『なかったこと』になったではないか。1919年建国論は、李承晩と1948年建国論に対してあまりにも党派的に向き合った。『進歩』学界には、臨政(臨時政府)法統論を認めず文在寅政権の1919年建国論に便乗したという誤りがある」

-解放直後の左右対立と分断のせいで、大韓民国は出発から間違っていた国だと考え、学校でもそのように教える教師が多い。

 「国民国家樹立の失敗を、韓国史の近代移行において現れた最も重要な特徴として記す書籍が多い。分断を理由にして、大韓民国を何かが抜けた『欠損国家』と見なしてもいる。現代史教育をどうすべきかは答えがない。1980年代の偏向した歴史観にかぶれた586世代(60年代に生まれて80年代に大学へ通った現在の50代)が退き、新たな世代が登場するのを待つしかないのではないだろうか」

金基哲(キム・ギチョル)学術専門記者

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